3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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最も成功した歴史修正主義

 久しぶりに捕鯨関連でメモ(といっても新しい話ではないが)。

 シエラ号事件というのは知らない人は知らない話ですが、日本の現代捕鯨を語る上では重要な海賊捕鯨事件です。Wikipediaの「日本の捕鯨」のページには海賊捕鯨の項目があり、シエラ号事件についてこう書かれています(日本のウィキペディアにはもちろんそのような記述は全くない)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Whaling_in_Japan

The Japanese trawler, Shunyo-maru, later became a combined catcher/factory whaling ship, MV Tonna, and was owned by Andrew M. Behr who also owned the infamous pirate whaling ship, Sierra. The Tonna is famous for its demise. In 1978 with full holds the Tonna landed another 50 ton fin whale. As the whale was being winched aboard for processing the ship listed over, took on water and quickly sank. Behr and the Sierra were also linked to Japan's Taiyo Fisheries Co. through a Canadian subsidiary (Taiyo Canada Ltd.) and with whale product for Japanese markets. The Sierra was severely damaged after being rammed by activist Paul Watson aboard his ship, the Sea Shepherd. The Sierra was later sunk in port by unknown saboteurs with limpet mines. Taiyo and other Japanese fisheries have also been linked to pirate whaling through subsidiary companies in Taiwan, the Philippines, Spain, South Korea, Chile and Peru.


pirate


 シエラ号の海賊捕鯨行為そのものにフォーカスした論文は見つけられませんでしたが、シエラ号を襲撃したのがシーシェパードであることから、シーシェパードを論じるものの中にはシエラ号の行状を伝えるものがあります。

Vigilantes on the High Seas?: The Sea Shepherds and Political Violence
Nagtzaam and Lentini, Terrorism and Political Violence 20: 110- (2007)

The most notorious pirate whaling ship was the Sierra. Captained by a Norwegian and crewed by Japanese sailors and 75% owned by Taiyo Fishery of Japan and 25% by the Foreningsbanken in Norway, the Sierra had come to symbolize to many ENGOs the underhanded and interconnected nature of pirate whaling conducted by states such as Japan and Norway, which refused to be bound by the strictures of the international community as espoused by the IWC.59 The Sierra’s crew killed 1,676 whales during a three-year period and sold the meat to the Japanese domestic market. As a result, the ship and crew were considered untouchable: the IWC, the organization tasked with regulating whale catching, was unable to enforce its own decisions and quotas. This was despite global opposition to such killing.60



 また、環境保護団体Earth Island Instituteが日本の海賊捕鯨を詳述しています。
http://www.earthisland.org/immp/
http://www.earthisland.org/immp/ECO2006/2006EcoNo1.pdf より抜粋

Japan’s Shameful Whaling History
(...)
Perhaps the most egregious whaling crimes were practiced by Japan’s Taiyo Fishery Co. It got into pirate whaling in the 1968 in a joint venture with Norwegian whaling interests. A former Dutch catcher boat, the AM No. 4, was converted to a combination factory ship/ catcher boat by adding a huge freezer compartment and a stern slipway for hauling whales aboard for slaughter.

Renamed the Sierra, the pirate whaling ship roamed the North and South Atlantic for a dozen years, flying flags of convenience such as Bahamas, Somalia and Cyprus. It killed thousands of whales outside IWC regulation, many of them “protected” blue, humpback and right whales. The meat and oil was shipped from various Atlantic ports to Japan on Taiyo reefers.

The Sierra’s deadly rampage only stopped in July 1979 when it was put out of action by the Sea Shepherd Conservation Society ship, which rammed it outside the port of Oporto, Portugal. Seven months later, after undergoing repairs, the Sierra was mysteriously sunk in Lisbon harbor by limpet mines attached to its hull by persons unknown.
(...)


 こういうのが日本語では伝えられていないのかというとそうでもありません。原剛著の「ザ・クジラ」 (文眞堂刊)は一つの章をまるまる日本の海賊捕鯨にあて、シエラ号、トンナ号の暗躍や台湾、韓国を経由した鯨肉密輸を解説しています(そして私の知る限りではこの本が日本の海賊捕鯨を一番詳しく述べている)。海賊捕鯨を概観した後にはこう書いてあります。

 不幸なことであるが、いっこうに改まらない背信行為と問題処理の不手際とによって、日本の言動は鯨保護サイドからほとんど信用されていないのである。
 十年余に及ぶシエラ号や台湾の海賊捕鯨を経済的に支えてきたのが「クジラ好きの日本人」であったことは、まぎれもない事実である。そして国際捕鯨委員会や加盟国は、当事者である日本政府をも含めて不法な行為を知りながら、海賊捕鯨の摘発にはまったく無力であった。鯨類保護の民間組織(NGO)のねばり強い調査活動と追求がなかったならば、事態は全く改善されていなかったかもしれない。



 kknekoさんのところでもわかり易く解説されています。
http://www.kkneko.com/aa3.htm

 上で見たように日本の海賊捕鯨は非常に悪名高いものですが、日本国内ではきれいさっぱり忘れられているように見えます。捕鯨に関する俗論はここなどでいくらでもサンプルを採取出来ます。
http://togetter.com/li/205981

sample1
よくいる鯨体完全利用神話信者ですな。(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-49.html)。

 以下いくつか挙げるが、実際きりがない。

https://twitter.com/totakiza/status/129393298862374913

https://twitter.com/tsujimoto_/status/129393717856579585

https://twitter.com/milestajp/status/129414211393691648

https://twitter.com/MTA_CROWLEY/status/129397135392251904

https://twitter.com/kijikijikenken/status/129442450845601792

 これだけ不利な材料があるにもかかわらず捕鯨の優等生を気取っていられるのは凄いことです。相手が日本の捕鯨についてどういう情報をもっているのか、どういう印象をもっているのかという調査すらやらず(上で紹介した記事を見れば少しは察しがつきそうなもんだが)、自分の無根拠な鯨体完全利用神話を相手に強要しているわけでして、これはちょうど彼らの脳内にのみ生息する捕鯨反対派とそっくりです。

 「南京大虐殺はなかった」「慰安婦の強制連行はなかった」というのと同様に、「シエラ号事件はなかった」というウソがあっても良さそうなものですが、そういう否定論が必要もない位に歴史を修正できているわけです。それはもう歴史修正液で綺麗に消されています。日本の通俗的捕鯨史観は最も成功した歴史修正主義といえましょう。

テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済

過去を書き換えた影響

 ドラえもんには、過去への干渉が法律で禁止されているという設定が出てくることがあります(設定に矛盾が出てくるのは長期連載の常で、他のエピソードではその禁止事項が平気で破られたりしますが)。タイムトラベルの取り扱いの設定はエピソードごとに多少変化がありますが、過去を変えることが未来に重大な影響を及ぼすことはたびたび説明されます。例えば、過去を変えたことで本来ならしなくて済んだ怪我をする話があったりします。

 歴史修正主義がなぜ批判されるのかといえば、過去の事実を歪めることは、現状の認識を誤らせ、未来の問題解決を遠のかせるからでしょう。歴史や進化生物学など、技術的応用に結びつかないが人びとの世界観を規定するような分野は、学問的事実がないがしろにされやすく政治的攻撃を受けやすいように見えます。しかしまた、一見関係ないように見える分野にも修正主義は現れます。

 自分が取り上げた捕鯨問題と「沈黙の春」を例に、過去をねじ曲げた影響を考えてみると以下のような感じでしょうか。

 まず捕鯨問題ですが、これは日本の乱獲や海賊捕鯨の歴史がまったく語られない点や文化論が捏造された点で歴史修正主義的一面があります(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-96.html)。「捕鯨の優等生日本に言いがかりをつけ、文化を破壊する無反省な欧米」という捏造された構図は、捕鯨批判に耳を傾ける必要はないという態度につながっています。さらにこの文化論を盾にした対話拒否の姿勢は現在の他の議題(たとえばマグロやウナギ)についての日本のめちゃくちゃな実態を覆い隠し、資源保護の将来に暗い影を落としています。とどめに日本の鯨類科学が停滞を強いられていることも無視されるのです。

 捕鯨問題はごく小さな問題なので(だからこそあめりかサマも水産官僚のオイタを大目に見てくださる)、捕鯨さえやめていれば現在の問題は雲散霧消していたとは考えられませんが、それでもなお、「日本はクジラを大事に利用してきた優等生」という具合に歴史を書き換えたことは、現代日本の動物や食料の扱いにも暗い影を落としているのではないでしょうか。例えば、捕鯨の話題になると突然思い出したように獲物への感謝とか言われますが、食料となってくれた生き物に感謝する心が本当にあるなら食料を廃棄するために輸入している日本の現実に正気を保てないでしょう。その他にも、日本の動物福祉の後進性にも歴史を修正した影響があらわれているのかもしれません(参考:新手の捕鯨擁護論説 http://kkneko.sblo.jp/article/16120003.html

 二番目の「沈黙の春」に対する修正主義者の攻撃についてですが、オレスケスらは著書「Merchants of doubt」の中で、化学物質への規制緩和をもくろむ業界の動機を指摘しています。カーソンのせいでマラリアの犠牲者が増えたという「過去」をでっち上げることで、今後の産業活動への法規制を回避しようという魂胆です。それ以外にどういう影響があるしょうか?直接的には実際のマラリア防御研究が見えづらくなることが挙げられます。マラリア防御への理解が殺虫剤を撒けばいいという程度にとどまるのは、実際のマラリア防御には好ましくありません。例えば誰でも参加出来るマラリア防御研究プロジェクトがあるのですが、こういうのは顧みられなくなります。
http://www.malariacontrol.net/impressum.php

 現在のマラリア防御研究をいくつか見てみましたが、DDTが対マラリアの切り札とは言えなそうです(Rogan and Chenによる総説の中でも、DDTがマラリア防御に最も有効な手段であるという証拠は存在しないことが指摘されています。参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-116.html)。もしDDTだけでマラリアが防げるんなら何で天下のサイエンスにまだこういう↓論文が載るんだよ、という気もします。

Malaria in the Post-Genome Era
Greenwood and Owusu-Agyei, Science 338: 49-50 (2012).

Quantifying the Impact of Human Mobility on Malaria
Wesolowski et al., Science 338: 267-270 (2012).

 修正主義者の目的はカーソンの評価をおとしめ、産業規制につながる環境保護意識を軽んじる風潮を作ることですが、ネットなどではある程度は成果をあげているようにみえます。松永氏は「沈黙の春」について「大きな価値がある」と一定の譲歩をしているのですが、末端の受容はこうなります(修正主義者にとってはこうしたことは願ったり叶ったりなのですが)。
silent-spring.jpeg
http://togetter.com/li/156822

 東京新聞(中日新聞)が社説で現在の核災害と「沈黙の春」を対比的に論じたとき(「週のはじめに考える 『沈黙の春』と原子力」 2012年10月21日)、予想通りツイッターの一部ではこのような反応がありました。どういう人たちがこの手の話を好むかは(以下略)。

https://twitter.com/neologcutter/status/259986163060862977
https://twitter.com/deadcatbouncepn/status/259986076846927872
https://twitter.com/Dairanju/status/259973429741109248
https://twitter.com/hhhira/status/259949122889601025

 Foocomの記事にある「沈黙の春」への攻撃はおよそ不当なもので、むしろカーソンの基本的な正しさを確信させてくれます(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-119.html)。Yoshida and Kanda (2012)も論じているとおり、環境中に放出された放射能の挙動は注意深くモニターする必要があり(下図)、これはちょうど殺虫剤が自然界でどのような振る舞いをするかを描いた「沈黙の春」を想起させます。要するに社説の論旨は何らおかしなものではありません。


Yoshidaandkanda.jpeg
Although the radiocesium distribution around the FDNPP is relatively well understood (see the first figure), the processes by which it is transferred—e.g., from forest canopy to ground soil and aquifers, terrestrial biota, river and lake systems, and eventually to marine systems—are yet to be depicted quantitatively.

Tracking the Fukushima Radionuclides
Yoshida and Kanda, Science 336: 1115- (2012)


 社説関連以外にも少し拾ってみましたが、レイチェル・カーソンを否定することこそ理系の証、知性の証明とでも思われてるんでしょうか。

(上のツイートを2013.6.12追加)
https://twitter.com/rinritan/status/266768196223262720
https://twitter.com/kuratan/status/160029674976706560
https://twitter.com/ontheroadx/status/275248501573685248
https://twitter.com/PolkaDotsQuant/status/275194184485437442

 レイチェル・カーソンは間違っていたという歴史を捏造したことは、環境保護を軽んじる風潮を後押ししています。そういえば、日本国内のクジラの議論には野生動物保護という観点が欠落しているという指摘もありました(捕鯨問題についてのニセ科学批判者の見識は、私がやる気がないと酷評したグリーンピースをはるかに下回るものだった)。日本近海に生息するコククジラ太平洋西系群やミンククジラJ系群が全滅の危機にあることは殆ど報道されていません。

 科学に詳しかったり、知識の正確さに重きを置く人がこうしたプロパガンダについて意外なほど無力なのを見てきました(かくいう自分もダマされていたわけですが)。こうしたことについて、科学リテラシーが足りないという説明は全く的外れなように思えます(丹念に文献を探して読むという基本的リテラシーを発揮していれば充分避けられたものではあるが)。個人的資質以外の理由が何かあるのかも知れません。

アミバの拳

 ん!?(また)まちがったかな。 。。

 私は以前にこんなことを書きました。

総じて、鯨肉食は喫煙ほどには害はないと言えましょう。
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-103.html


 ところでリスクを論じる際の注意として、農水省のサイトにこんなことが書いてありました。

第5ランク(通常許容できない‐格別な注意が必要)

* 関係のないリスクの比較(例えば、喫煙、車の運転、落雷)
www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/risk_analysis/r_risk_comm/index.html#022


 この文書をリスクコミュニケーションの専門家の見解として尊重しようが、今流行の安全安心詐欺のマニュアルと見なそうが、いずれにせよ自分のやったことは三流の詐欺師以下ではないか(リスクを語るのにもこんなにルールがあるということすら知らなかった)。

 もう一度水銀の毒性を虚心坦懐に眺めれば、注意は必要ということでしょうか。魚食は水銀汚染の原因ではありますが、一方で魚食は肉食よりも認知症のリスクが低いという話もあります。その辺はバランスをとる必要があると思います(素人考えですが)。

 水銀の蓄積は神経変性疾患など様々な病気に関わる可能性がありますが、この表をみると水俣病の症状が様々なのもうなずけます。
Zahir
表は
Low dose mercury toxicity and human health
Zahir, Environmental Toxicology and Pharmacology 20: 351–360 (2005)
より。

 水銀への曝露から潜伏期間(長いものでは数年)を経て症状が現れた例を論じているのがWeissらの論文です。
Silent Latency periods in Methylmercury Poisoning and in neurodegenerative disease
Weiss et al., Environ Health Perspect 110(suppl 5):851–854 (2002)
Weiss
 加齢こそ神経変性疾患の一番のリスクファクターですが、そこに水銀による細胞へのストレスが加われば神経の機能に異常がでる可能性は当然高くなります。Weissらはこのように述べています。

If any lesson is to be derived from the examples discussed in this article, it is that the conventional tenets of toxicology need to be observed with a considerable degree of skepticism. We should be convinced, not by dogma, but by a deep understanding of mechanisms.


 今問題となっている低線量被曝にも通じるものがありますなぁ。

 さらに水銀の蓄積が心臓血管系の病気にも関わると議論されているのは、前の記事で取り上げたChoiらも言及している通りです。フィンランドで熱心に調査されているようです。
Mercury as a risk factor for cardiovascular diseases
Virtanen et al., Journal of Nutritional Biochemistry 18: 75–85 (2007)

 今年にはいってクジラと水銀の関係を論じたものが複数出てきました。
 クジラに水銀の蓄積とおそらくそれに関連した心筋症が見られたという報告。
Influence of mercury and selenium chemistries on the progression of cardiomyopathy in pygmy sperm whales, Kogia breviceps
Bryan et al., Chemosphere 89: 556-562 (2012)

 試験管内の実験結果は、現在の環境中の水銀レベルがベルーガへの脅威となりうる可能性を示したと。
Mercury toxicity in beluga whale lymphocytes: Limited effects of selenium protectionFrouina et al., Aquatic Toxicology 109:185-193 (2012)

 そしてゴンドウクジラは人間の食物としてお勧めできない、と。
Dietary recommendations regarding pilot whale meat and blubber in the Faroe Islands
Weihe and Joensen, Int J Circumpolar Health 71: 18594 - (2012) http://dx.doi.org/10.3402/ijch.v71i0.18594

 水銀にしろ喫煙にしろ放射線被曝にしろ、健康に悪いものなら出来るだけ避けた方が賢明だというのが医者の一致した見解だと思います。ただ、私がイルカ猟などの沿岸小型捕鯨に反対するのは、ハクジラを対象とした捕鯨は複雑な社会性を持つハクジラ類の生態をかく乱するからというのが主な理由であり、鯨を食べる人間の健康が心配だからではありません。

 トキを目指して実際行き着いたところはアミバ様だったわけですよ。エア御用の木人形共を弄っている位が私の身の丈にあっているのでしょう。

捕鯨と原発についての雑感

 少し前の事ですが、レイキャビクでホエールウォッチング船を見学しました(クジラを見たのではなく、港に泊まっている船の中に入っただけ)。船の中の展示から読み取れたのは、ホエールウォッチングは首都近辺に限られる一方で、捕鯨はアイスランドの周りでまんべんなく行われているということでした(カメラを無くしたので写真なし)。観光客の集まりやすい首都だとウォッチングへの鞍替えも容易かもしれませんが、田舎の漁村になるとそう簡単に行かないということでしょうか。小さな国の都市と地方の格差なのかもしれません。格差といえば、日本ではイルカ猟で有名な太地に原発誘致の話があったことがレポートされています。

捕鯨の町の未来のために  ~捕鯨産業に蹂躙された町、鮎川~ より抜粋

 もうひとつ思ったことは、この地域捕鯨の問題には、都市の身勝手さや資本
の論理というものも、非常に深刻な影を落としているということである。
 史上最大の迷惑施設のひとつである原子力発電所が、過去に捕鯨基地であり、
現在過疎化に苦しんでいるところを狙い撃ちするように計画・建設されている
ことからも、それは伺われる。牡鹿町の隣の女川町には東北電力女川原子力発
電所が稼動しており(*1)、牡鹿町にもリアルタイムで放射能モニタリングの結
果を町民に知らせる設備がある。同様に、過去に捕鯨基地であった和歌山県太
地にも原子力発電所の計画があり、太地の人々は勇敢にその計画に抵抗し続け
ている(このレポートを読むかもしれない太地の方々へ。わたしは、こと捕鯨
問題に関してはみなさんとは異なる意見を持っていますが、あなたがたの原発
に反対する闘いを高く評価しており、心強く思っています。太地のみなさんの
原子力発電所建設計画への闘いが、願わくば、勝利に終わりますように(*2))。
 ある地方の文化を尊重し、維持したいと本気で思っている人々がその地方に
原子力発電所を建設しようとしたりするだろうか。日本という国は、あるいは
日本の捕鯨を継続したいと主張する人々は、本気で鮎川などの地方を尊重し、
その地方の文化や生活を守りたいと、ほんとうに思っているのだろうか?


 私は、改訂管理方式の通用しないハクジラ猟は直ちに中止すべきと考えています。伊豆のイルカ猟の歴史は示唆的です。19世紀後半には伊豆半島の18の漁村でイルカ猟が行われていましたが、20世紀初頭には8村、食糧の需要が最もあった第二次大戦後でも5村、1960年に3村と減少しました。そして残った3つも、安良里(1973)、川奈(1983)、富戸(2004)とそれぞれ猟は中断しています。これについて鯨類学者の粕谷俊雄氏は、イルカが減少する中、より積極的にイルカ猟を行った村が最後まで残ったという解釈を示しています。

Japanese Whaling and Other Cetacean Fisheries
Kasuya, Env Sci Pollut Res 14: 39-48 (2007)

 太地のイルカ猟は伊豆から伝えられ1970年代に始まったものですが、ハクジラ猟の安全な管理方式がない以上、たどる道は伊豆と同じでしょう。

 捕鯨の不透明性は大きな問題です。隣国の韓国の混獲も深刻ですが、2001年に混獲クジラの流通が合法化されたとたんに混獲数が4倍に増える日本も救いがありません(Lukoschek et al., 2009 下表参照)。「たとえ違法な鯨肉であっても日本人は食いたがる」と解釈するのが普通でしょうな。そしてこの中には絶滅すら危惧されるミンククジラJ系群が相当に含まれています(J系群については「解体新書捕鯨論争」参照)。
by-catch
The rise of commercial ‘by-catch whaling’ in Japan and Korea
Lukoschek et al., Animal Conservation 12: 398-399 (2009)

 IWC管理下の鯨種でもこうなのだから、管理外の沿岸小型捕鯨についても推して知るべしというものです。事実、粕谷氏は2008年の第2回PEW鯨類シンポジウムで沿岸捕鯨の管理体制や統計データの不完全性を指摘しています。そしてWDCSの「人間の需要に駆り立てられるイルカたち」は富戸のイルカ猟の規制違反について報告しています。反対派が監視してようやく違反が明るみに出るという事であり、これはイルカ猟の自律性のなさを示しています。このように監視と抗議は必要ですが、しかしながらアイスランドで見たものを思い出す度、それだけで解決するとも思えないのです。

 「捕鯨問題の歴史社会学」に詳述されていますが、公海捕鯨はむろん、沿岸捕鯨も単純に日本の伝統とはいえず、日本の近代化という文脈の中で理解されるべきものです。現代社会の中で資本の論理により、仕事の無い田舎に原発が立てられたりしているのですから、それを止めさせた上で地元の生活を成り立たせるためには、小手先の改革では不十分なのではないかと。どうすれば良いのか私には皆目見当がつきませんが、おそらく全社会の構造を変えることが必要なのでしょう。捕鯨や原発への反対運動の一部にときたますっきり納得出来ない何かを感じる理由はこの辺にあるのかもしれません。しかし、それで生計を立てている人がいるから、とデモデモダッテしているうちに、資源は壊滅し放射能は漏れるのです。

欠如モデルの人

 科学技術の理解や社会的受容について、欠如モデルと対話モデルという二つの説明があります。ある種の科学技術が社会一般に支持されないのは大衆の知識の欠如が原因であり、正確な知識を啓蒙することで「真実」は受け入れられるというのが欠如モデルですが、科学技術社会論ではこの欠如モデルの不完全性が認識され、代わりに対話モデルが提唱されています。一方的に理解を求める統治スタイルは、とりわけ科学的に未知の事柄には適さないため、双方向的対話と一般人の政策への参加が重視されるようになったとものの本には書いてあります。

 欠如モデルの不完全さは、科学技術社会論に限ったことではありません。橋下徹にしろ石原慎太郎にしろ、その正しさで支持されているわけではありませんが、彼らに批判的な側は結果として敗北してきたわけです。レーニンはその革命理論の中で宣伝と煽動の重要さを強調していますが、なるほど、彼は実際の人間社会というものを良く理解していたのです。他に欠如モデルで説明できないものといえばレイシズムや歴史修正主義です。グールドも人種差別主義者を論破することは出来ないと述べていますし、事実、歴史修正主義者相手の議論も延々とループしています。人類学の知識が欠如しているから人種差別主義者になるのでもなければ、歴史の知識の欠如が歴史修正主義の根源というわけでもないのです。

 科学技術の社会的応用についての合意形成には不充分な欠如モデルですが、捕鯨問題に関して私自身はまさにこの欠如モデルで動いていることに気がつきました。すなわち「日本は捕鯨再開のために科学的な主張をしている」という根拠をgoogle scholar、pubmed、scopusを駆使して探し求めたところ、そんなものは見つからないどころか調査捕鯨がボコボコに叩かれているのがわかったため、私は日本の捕鯨に対する考えを変えました。捕鯨について自分がどう思うかというのにはもともと興味はなく、専門家は何を議論しているのだろうという好奇心から論文をあさったのですが、専門家の議論というのはいつでも素人の想像を超えたもののようです。

 欠如モデルで動く私にとっては、査読を経た科学論文など確実性の高い資料ほどありがたい一方で、クジラを食料と見なすべきか友達とするべきかというような形而上学的議論には何の興味もないわけです。そんなわけでちょっと各団体のパンフレットを比較してみました。

WDCS http://www.wdcs.org/
 ● 「人間の需要に駆り立てられるイルカたち」 
 ● 47頁に183の注釈。学術文献、資料が豊富。

IFAW http://www.ifaw.net/
 ● 「クジラと漁業」 
 ● 12頁の中に22の参考文献 学術論文が多い。

IKAN http://homepage1.nifty.com/IKAN/
 ● 「小型沿岸捕鯨の現状」 
 ● 全7頁 18の参考資料 見やすい。

 ● 「日本沿岸の希少種ミンククジラその混獲の実態」 
 ● 鯨研のデータを元にJ系群が危機的状況にある事をあぶり出す。

 ● 「クジラが魚を食べ尽くす?? なわけがない!!!!」 
 ● 鯨食害論への基本的な反論。

GP http://www.greenpeace.org/japan/ja/
 ● 「クジラと捕鯨についてあなたはどれくらい知っていますか?」 
 ● 見やすい。

ICR http://www.icrwhale.org/
 ● 「クジラの調査はなぜやるの?」 
 ● 全11頁 図表は豊富だが学術文献なし。

 ● 「南極海鯨類捕獲調査(JARPA) 第2版(英語版)04-b-len2.pdf」
 ● 全58頁 多少は見やすいが、pdfの作り方は雑。相変わらず参考文献はない。大学生の卒業論文でももうちょっと気合い入ってるぞ。ところでザトウーナガスークロミンク間の競合が説かれているが、エア御用お気に入りのクロミンクーシロナガス競合説はどこへ行ったのだろうか。

 ぶっちぎりはWDCS、続いてIFAW。これらは参考文献が豊富で、これらの団体の主張の確かさを調べようとする人にも手がかりになります。健闘しているのがIKANで、多分小さな団体だと思いますが、公的資料と独自調査を交えた丁寧な出来です。対する鯨研は学術研究を行っている団体とは思えないくらいのレベルです。私が気になったのは、SSCSと双璧をなす反捕鯨団体と一般に認識されているGPの貧弱さです。人気アニメ「ドラえもん」では既出の道具を使えば簡単に解決できることに新奇の道具を投入してわざわざ苦労する事がよくありますが、GPのパンフレットを見ていると、このドラえもんを見ている時に感じる苛立ちと似たような感覚を覚えます。巨大国際NGOであるGPが本気を出せば、私がちょこちょこ書いてきたものを軽く超える資料集が作れるはずです。わざわざ鯨研と同レベルで勝負する理由がわかりません。ドラえもんじゃあるまいし。

 このGPの「やる気のなさ」は一体なんなのか?実はGPなりの考えがあるのでしょうか?

 歴史修正主義やレイシズムの根源が知識の欠如でないように、捕鯨問題についての議論も知識の欠如では説明できないものがあります。例えば自称カガクに詳しいエア御用がこの問題についてだけ全く論文を参照しないのは何故なのか?私は前述の通り欠如モデルで動いているので、日本の捕鯨の何が批判されているのかという知識が普及すれば問題解決に寄与するはずと考えていましたが、そうならない所を見ると、やはり捕鯨問題は歴史修正主義などと同様の側面を持つと思われます。レイシスト共の歴史修正主義に対して欠如モデルは決して有効な策ではありません。が、かといって対話モデルはさらに不適切でしょう。一般的な科学技術社会論と違い、レイシストの主張に耳を傾け相手の言い分を受け入れる余地はありません。不寛容に対する寛容はあり得ないのです。

 こう考えてみると、グリーンピースは欠如モデルでは捕鯨問題を解決出来ないと考え、わざと精密な資料の提示をせずに議論を展開しているのかもしれません。それではどういう戦略をとっているのかは、私には想像出来ません。星川氏の著書「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」では、それほどクジラを食べたい訳でもないのになぜここまでもめ事を起こすのかというようなことが問われていますが、その辺から攻めて行くつもりなのかもしれません。しかし、GPが沿岸捕鯨に寛容な姿勢を示すなどしていても、問題解決に効果をあげているようには見えません。

 多くの実例が示す通り、疑似科学や歴史修正主義を論破する事は出来ません。同様に、疑似科学と歴史修正主義の複合体である捕鯨問題も解決しない可能性が高いでしょう。学術論文の蓄積を一切無視し、一部の反捕鯨活動をもって捕鯨反対の本質を人種差別と説くのが可能であるというなら、捕鯨に賛成する人間の傾向から捕鯨賛成の本質をレイシズムと歴史修正主義と説明することも同様に可能です(mixiの画像参照)。欠如モデルは完全でないとはいえ、結局この手の問題に対しては欠如モデルに代わるものはないのではないかと思います。ちょうどチャーチルが民主主義を評したように。
mixi-hogeisansei
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