3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

オリジナリティとは

だが、ここで注意深く考えなければならない事は、「理屈をこねること」と「理論を理解すること」とは、まったく次元の違う問題である、ということだ。

 「理論なんかこねくりまわすと、頭デッカチになってしまう。感性が理論に縛られて自由な発想が出来なくなる!」と声を大にする人も多い。でも、そういう人って、ようするに理論を勉強するのが面倒臭いだけなんだよ、きっと。そして、理論を知ったことで感性が理論に縛られてしまうような結果に陥ってしまったとしたら、それはもともとその感性が、「感性」と呼ぶには貧弱な、単なる「思いつき」でしかなかった、ということだ。

 体操競技に、ロイター板と呼ばれる踏切板がある。あん馬の跳躍の時に選手がより高く飛ぶために使う、アレだ。体育の授業で跳び箱の時にも使うから、諸君も知っていることと思う。音楽理論はつまるところ、アレだと思ってもらってもかまわない。踏切板自体を高く跳ばすわけではない。人が高く跳ぶためのモノだ。音楽理論も、感性をより高く飛躍させるための踏切板と言えるだろう。しかし、踏切板を置いたからと言って必ずしも高く跳べるとは限らない。より高く飛躍できるかどうかは、使い方次第だ。上手に使えばウルトラC、使い方を間違えれば転倒、それだけのことだ。

 ?「ギタリストのための音楽理論研究 鉄人への道」ACE清水 著 より


 ギタリストの王様が、徹底的にコピーを追求して、真似しきれないところにオリジナリティーの生まれる余地があるというようなことをどこかで言っていた気がします。さすが王様の言葉ともなると重みが違います。保守系の雑誌に掲載された対談で、某保守論客(確か西尾幹二氏)が、ナンバーワンを目指してこそオンリーワンにもなれる、安易にオンリーワンに安住するな(大意)、と言っていたのですが(そこだけは)感銘を受けました。

虚構の皇国より
渡部昇一のスピリチュアル講話
http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20090217/
 昔はpdfがダウンロードできたのですが、いまはないのでしょうか。pdfに書いてあったピルトダウン事件の要約の仕方は「独創的」といえばそうですが、単に間違っているだけでした。ダーウィンの生涯や進化論の成立を語る上でウォーレスは欠くべからざる人物であり、たいていのダーウィンの伝記には登場します。そんな基本的なことに「長年の思索と研究」で行き着くあたりが渡部のアレっぷりを如実に表しています。

http://aczog.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-1100.html

マッコウクジラは人間が保護をしすぎた結果、現在過剰に増えすぎている。
そのせいで、シロナガスクジラが絶滅しそうになっているのである。
これは一部の人間が感情的になって、根拠のない同情心から「かわいそうだ」と言い張って、鯨という天然資源を利用しなくなったために起きている現象である。

 ミンクーシロナガス競合説もトンデモ鯨食害論のバリエーションの一つですが、デマが拡散する中で変異を起こしたのか、全くの新説となっています。マッコウクジラ?ミンクじゃなかったのかよwww。もちろんいい加減な想像だけで書かれたもので単に間違っているだけなのですが。

「よく知らない」のに「中国は南京事件の犠牲者数の値を増やし続けている」というデマなど否定派の主張は鵜呑みにしている「一見様」
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090623
 こういう記事にはよくくだらないコメントがつくのですが、それらの特徴として、専門家による文献をいっさい読んでいなければ読もうともしない、というものが挙げられましょう。自分の頭の中で理屈をこね回すだけではオリジナリティーとは呼べません。安易に「オンリーワン」に流れているだけなのです。

 ではオリジナリティーとは?

ALS患者における高脂血症は治療してはいけない!?
http://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/718912812d18fa30f67b140754f76a7b

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)においては、既存のどんな薬よりも高脂血症の方が延命効果がある(ALSとは反対に、高脂血症はアルツハイマー病のリスクファクターであるため、コレステロール代謝と神経性難病との関係は興味深いところである)という報告ですが、原文を読むと、この可能性は割と以前から示されていたことがわかります。過去の蓄積をうまく(低予算で)発展させた重要な知見をもたらすペーパーです。過去の知見の蓄積を生かすにしろ、それらの間違いを発見するにしろ、それなりの知識を持っている必要があるわけです。

 難病の治療法が発明されれば画期的なことです。それを目指して過去の知識を整理し、あらゆる可能性を検証した果てに小さな前進があるかどうか、というのがこの分野の研究の日常なのです。

上手に異なることは結構難しい
 「科学者の場合、他人と同じことをするというのは価値が全くゼロなんだよね。他人と違わなきゃいけないわけね。でも、他人と同じにするのは簡単でさ、例えば制服なんかでも着ていればいいのだけれど、ファッションなんかでも、他人と違えるというのは難しくて、あんまり突拍子もなく違っちゃ困るわけ。その時代の全体の流行とかTPOの中で、ちょっとおしゃれにする、ちょっと違える必要があるわけね。スーツを着る時にはスーツを着るけど、ちょっと色に工夫して みるとか。おしゃれってのは、そこが一番難しいわけね。 いかに人と違いつつも全体の枠に自分をはめるか。ちょっとしか違えちゃいけない。(51KB)科学でも、それと全くおなじなわけ。」
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientist/ito_k/interview_itou.html


 ものすごく違うことやろうとしても、現時点での知識や技術などの制約により、ようやく人と少し違うことが出来るかどうか、なんですよ。私の場合は。

関連でもう一つ

研究とは「パンク伝統芸能」である
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20090223/

そのこころは、「過去からの蓄積や文脈を踏まえつつ」、「誰もやっていない新しいことをしなくてはならない」。

どんなことにおいてもある程度はいえることではありますが、仕事としての研究にはこの2点が特に強力に求められます。


スポンサーサイト

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://3500131221.blog120.fc2.com/tb.php/86-bc14025e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad