3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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調査捕鯨は国益である

http://greenpeace.or.jp/whalelove/newsletter/sample.htm

「調査捕鯨を廃止し、沿岸零細捕鯨を保護することが国益のバランスにかなう」


 実際には、一部水産官僚の利益になっているのだから、調査捕鯨だって充分立派な「国益」なんですよ。外務官僚とかはそのうまみにありつけないから文句を言っているだけで。日本人全員の利害が一致するなんて事があり得ない以上、「国益」で日本人がもれなく利益を享受するなんて事もあり得ないのです。その国益たる調査捕鯨のさして重要でもないデータ解析に研究者のリソースが投入されるのは、科学の利益に反するものです。そもそも国益なんて言葉がまやかしなのです。

反捕鯨の本質は何かという議論はよく見かけますが。
宗教?
ガイア教の天使クジラ
http://tkido.blog43.fc2.com/blog-entry-324.html

要点は反捕鯨問題は本質的に宗教問題であるということだ。


病気?
反捕鯨の病理学
http://luna.pos.to/whale/jpn_nemo3.html

さらに二流知識人の特徴を挙げよう。政治的センスがなく、国際政治の仕組みに無知なことだ。


自己紹介乙。

文化対立?
捕鯨問題における文化的対立の構造 岩崎まさみ 北海学園大学人文論集

それらの要因はまさに動物愛護論に起因したものであり、対立の核にはクジラの捕殺を認めるか認めないかという問いがある。

捕鯨支持国と反捕鯨国の対立構造の深層には、クジラの捕殺をめぐる相反する価値観があり、その対立をめぐる複雑な駆け引きが展開されていると言える。


 この論文の要旨は捕鯨問題は文化対立だということですが、根本的に間違った議論です。そもそも捕鯨についての文化対立という話は、捕鯨を存続させるために広告会社によって作り出されたものであり、「日本は捕鯨禁止という国際規範を拒絶するために文化的相違の議論を構築したのであって、その逆ではない。(石井&大久保 2007)」からです。保護するべき野生動物でも科学研究の必要に応じて捕殺が認められることがあるのは以前にもご紹介しました。反捕鯨運動に動物愛護団体が関わっているのは事実ですが、科学調査を名目とした捕鯨については科学の観点から名だたる科学者たちが批判しており、これには動物愛護論や価値観の違いなどが入り込む余地はありません。(余談ですが、「実験動物供養塔」や「実験動物慰霊祭」なんてものは、あくまでも個人的な経験ですが、日本以外では見た事がないのですが。)

 反捕鯨の本質は何かはしばしば議論されますが(大抵は宗教だとか病気だとかいう事になるらしい)、捕鯨推進の本質が何なのかはあまり問われません(政治外交分野での秀逸な分析はありますが)。捕鯨サークルの意見をもっとも集約した文献はおそらくこれでしょう。

Multiple analysis of the whaling issue: Understanding the dispute by a matrix
Morishita, Marine Policy 30: 802–808 (2006)

 この論文の中で論じられていることをいくつかピックアップしてみると、ここでもたびたび述べられているのと同様、インドにおけるウシの取り扱いを例に、クジラをめぐる価値観の相違が捕鯨問題の根本にあるという主張がなされています。大事な事なのでもう一度引用しましょう。「日本は捕鯨禁止という国際規範を拒絶するために文化的相違の議論を構築したのであって、その逆ではない。(「日本の捕鯨外交を問い直す:商業捕鯨モラトリアム以降の外交目的と実態の乖離」より)」

 その他の部分でも森下論文には、科学的根拠のない鯨食害論だとか、捕鯨禁止はベトナム戦争への非難をかわす隠れ蓑だとかの俗論が満ちあふれています。クジラもイルカも害獣ではないというのは既に何度も述べました。捕鯨禁止とベトナム戦争を結びつける俗論は、

米国捕鯨政策の転換 真田康弘 国際協力論集14: 139-159

で完全に否定されています。そもそもこの陰謀説は、「国際的捕鯨規制の歴史」といったテーマで商業捕鯨禁止へ至る経緯を論じた場合、本文の論理展開の中に組み込めないくらいの変化球なのです。「米国捕鯨政策の転換」のなかでも、巻末の注釈でようやく言及されています。

捕鯨が自滅する過程、モラトリアムへ至る道をコミカルに描いたkknekoさんの傑作でも、

確かに、流れとして不自然なところは何もありませんね・・
じゃあ陰謀説は一体どこから・・?


と表現されています。もともと米国政府の担当者はモラトリアムに消極的だったのに、捕鯨を盛んに行なっていたソ連や日本が国際監視員制度を反古にしたため、管理された捕鯨を目指した米政府担当者の面目も立場も丸つぶれになったのです。動物愛護団体の方がよっぽど現実をまともに理解しているのではないでしょうか。

商業捕鯨再開問題に関するJWCS の見解 2002 年5 月22 日 より引用
http://www.jwcs.org/

産業自体が内在的に含む限界(対象となるクジラが実は脆弱な資源であったこと)を産業政策や企業経営に反映しないまま、水産資本の蓄積に貢献し戦後食糧危機を救った花形国策企業をぶざまに自滅させたことに対する面目を保つためという見方もある。捕鯨産業がまるで外部からの圧力で駄目になったかのごとく、商業捕鯨再開に反対する外国政府や市民団体に対して過剰な敵対姿勢をとる彼らの姿は、まさにその現われと映る。


上を読んで思い出したのが水産資源学者勝川先生のコメントです。

日本の漁業者は、甘やかされているが、大切にされていない
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2007/10/post_224.html

 水産資源管理の失敗をクジラになすりつけるための「鯨食害論」なんかも甘やかしの一例でしょうな(コメント欄で指摘されている通り、「甘やかし」というよりも都合良く利用されていると言った方がより正確かもしれません。漁師もクジラも)。

捕鯨会社のブログ
http://gaibouhogei.blog107.fc2.com/blog-entry-33.html

また世界中で活躍している動物愛護団体の皆さんに司馬遼太郎さんの書いた言葉を捧げたい。「虚構はつねに激情をうむ。」そうです、この騒動はあなた方が捨てきれない虚構によってもたらされたものなのです。


 実際には自滅した捕鯨産業を虚構の歴史で飾り立てる様は、現実では負けているのに何故か精神的勝利者になる「阿Q正伝」のようですな。過去の新聞記事から日本の近代捕鯨像をさぐった塩崎俊彦氏の「捕鯨の近代」はこのように締めくくられています。

われわれが鯨肉食についてイメージしているのは、いまはここにないが、かつてはそこにあったはずのものに対するノスタルジアである。しかし、いまここにないものが、かつて必ずそこに存在していたと証拠立てるためには、忘却の底に沈みかけている記憶を召還しなければならない。だが、ここに試みられた素描に従えば、かつてそこにあったはずのものは、<伝統>という名の忘却装置によって仮構された霧の中にしか姿を見せることはない。


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でたらめ信じて人殺し 歴史は今日も繰り返す


 ?ロックンロール・ファイヤー/犬神サーカス団

 南極海の衝突は今年(今季)はもうないようですが、死人が出たりしたら本当に取り返しのつかないことになるで。それにしても雁屋哲氏は滑稽だね。
煮えしんぼ
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20090209
手塚治虫氏と雁屋哲氏/南極海捕鯨戦争関連報道続報
http://kkneko.sblo.jp/article/26550741.html

 雁屋氏は作品から察するに、ものすごいファザコンと思われる。きっとスターウォーズとか大好きなはずだ。海原ー山岡の父子対決が基軸の「美味しんぼ」に加え、「男組」では神龍が「お前たちの父親はブタだ」と父親への憎悪をむき出しにする。雁屋氏は反天皇主義者らしいが、その心情は国父たる天皇に対する反感なのではなかろうかと思ったり。もし天皇を国父と認識しているなら、それはまさに天皇主義右翼の感性である。
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テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済

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