3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

4800-16-14-2-1(その2)

5日目 340km
Dubrovnik (HR) 8:30
Rozaje (MNE) 17:00 Restaurant Hotel Duga
モンテネグロは地中海性気候のスイスといった趣。渓谷沿いを走る。道がわからなかったのでアルバニアへは行かなかったが、ガススタであったチェコ人のライダーがPec(ペーチ、コソヴォの都市)を経由してギリシアまで行くと言っていたのでコソヴォへ行くことにした。
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ドゥブロヴニク。「魔女の宅急便」らしい。
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コトル湾

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モンテネグロの渓谷を行く

コトル湾に沿って走る

6日目 360km
Rozaje (MNE) 8:30
Knjazevac (SER) 16:20 Mali Predah
MNE→SER→KOS→SER。コソヴォ入り口で鉄条網とコンクリートバリケードと国連軍の装甲車がお出迎え。どえらいところに来ちまったなぁ、と思ったのもつかの間、共和国内部は至る所に国連軍が展開しており治安は極めて良いようだ。道路の状態も普通で、ホテルも営業している。紛争があったという知識が無ければ新しい家と新しい墓がやたらにある理由もわからないだろう。写真撮影禁止ゾーンというのもあったが。コソヴォ人がコソヴォへ入るのは大変なようで、セルビア警察がヤクの売人を取り調べるような執拗な検査をしていた。MNEとSERで転倒。セルビアの宿では結婚パーティーが行われていた。
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コソヴォに展開する国連軍
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コソヴォの家は新築が多い
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セルビアの宿近く。夏の夕暮れ

7日目 200km
Knjazevac (SER) 8:30
Drobeta-Turnu Severin (RO) 15:00 Motel Petrom
ブルガリア経由でルーマニアへ。セルビア、ブルガリア、ルーマニアのあたりでは馬車が農作業に使われている。ヤギの群を追うヤギ飼い、我が物顔で道を横切るアヒル、牛馬は放し飼いで柵もない。ブルガリアールーマニア間はドナウ川を船で渡らなければならず、トラックが行列を作っていた。この辺りを走るトラック運転手は国境越えに苦労する。かなり効率が悪い。何か意図があるのかと思うくらい効率が悪い。モーテルであった英国人ライダーはギリシアへ行くと言っていた。
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ブルガリアの平野
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国境を舟で渡る
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ドナウ川

ブルガリアの馬車

マーク・ノップラーのヨーロッパツアーもルーマニアには行っていない。機材車が入るのが困難だからだろう。
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(5月11日、プラハのコンサート会場)
旧ユーゴスラビア圏の感想
多様な民族・宗教が林立しており、チトー亡き後四分五裂してしまったわけだが、「図説バルカンの歴史(河出書房新社)」によれば別に民族対立は本質的なものではないようだ。何の問題も無く共存、混在していたところに対立を煽る者が現れた、というインタビュー記事を読んだことがある。対立を煽る者が現れたとき、どのように対処すればいいのかは前の総理大臣が教えてくれた。「フフン、私はあなたとは違うんです。そんなチープな話では踊れませんな。」

8日目 410km
D-T Severin (RO) 8:00
Szegalom (H) 18:30 Hidi Panzio - Etterem
ルーマニアは馬車と大型トラックが道を行き来する。道の状態は非常に悪く、「青く美しきドナウ」も美しい農村も写真を撮る余裕はなかった。砂利に突っ込み転倒。常に工事で渋滞。チャウシェスク時代はもっとひどかったのだろう。コソヴォ以上の地獄がここにある。ハンガリーに入ってだいぶ気候が変わって涼しくなった。
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ルーマニアの田舎
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ルーマニア出国直前のガススタで
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