3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

繰り返される物語

 「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」

 たまに聞く言葉ですが、ヘーゲルを引用しつつマルクスが言った言葉だそうです。繰り返されるといえば映画にしても小説にしても物語の基本形は似たようなものです。物語には細部の違いはあっても共通する基本構造があるということはよくいわれています。例えば昔話の分類で使われる「呪的逃走」とか「異類婚姻」など。あさりよしとおという漫画家はストーリー作りの要点について「本物を知ること(=オリジナルを読んでおくこと)」と「ストーリーの根幹は定型的なものでなければならず、重要なのは細部をアレンジする能力」と述べています(大意)。

たとえば、アメリカでの
捕鯨反対運動にしても、あそこに、
科学的な話しあいはまったくなかったです。
だけど、なし崩し的な感情的な意見によって、
現に、捕鯨という文化は壊されてしまいました。
科学的な素養があまりにもないままだと、
第2の捕鯨や第3の捕鯨は、
いくらでもでてくるように思うんです。
それは、危険だなぁと感じています。
http://www.1101.com/2003_NEWYEAR/030102_science/ethics.html


 以前に引用した上の捕鯨観が良くまとまっており、最大公約数的なものだと思うのでまた引用します。上で語られている物語は「非科学的な外国に迫害される自国の伝統文化」という枠組みをもっています。極端な例ではユダヤ人を敵視したナチスや米軍にサリン攻撃されていると団結したオウム真理教、もっとソフトな例では昭和残侠伝や忠臣蔵もよく似た構造を持っていると思います(別に高倉健さんやファンをけなす意図はありません。だってあれは純然たる娯楽用フィクションだもん)。細部は全く違う(だから捕鯨はナチスのパクリというわけではない)のですが、一般化すれば「悪玉に迫害される善玉」という神話の構造は似ています。時空を超えて人びとを魅了する物語です。

 忠臣蔵についてパオロ・マッツァリーノは吉良が浅野を執拗にいじめる理由が不明であり、これはドラマの欠点であると指摘していますが、江戸時代から連綿と語り継がれてきた定型的物語においてはもはや吉良=悪者というのは無謬の前提となっており、そこを疑うのは物語に親しんできた人間には難しいと思います。(史実ではなく)物語としての忠臣蔵で、なぜ吉良は浅野をいじめるのかといえば、それは吉良が悪者だから、と同義反復的な答えしかできません。宗教の信徒にとって、教団の権威を疑うのが難しいのと同様です。

 ナチスの神話は全くの虚構だったのですが、レーニンが言う通り、社会にまつわる神話を支持する根拠などいくらでも挙げることが出来たのです。

「社会生活の諸現象は非常に複雑なので、任意の命題を確証するのに事例や個々の資料をいつでも好きなだけ探し出すことができる」(レーニン『帝国主義論』フランス語およびドイツ語版への序文)
紙屋研究所より万引き、いや孫引き。


 旧ユーゴスラビア解体の過程で煽られた民族・宗教対立も同じようなものです。科学史家でもあるグールドは著書「ダーウィン以来」において、「この複雑な世界には『純粋な事実』というものは存在しない」と述べており、過去の人種差別の「科学的」根拠についても「ひどくほしいときにはいつでも発見できるものである」と解説しています。

 捕鯨問題でも、捕鯨に反対するのは非科学的という前提が疑いなく受け入れられているように見えます。反捕鯨派が非科学的で感情的であるという根拠はいくつか挙げられるかもしれません。しかし、対する日本の捕鯨推進派の主張が科学的・学術的、あるいは外交戦略的に適切なのかという点はあまり語られていません。一般的には被害妄想もたっぷりに「感情的な外国の意見によって捕鯨文化が破壊された」と言われていますが、専門的な研究によれば日本の伝統捕鯨文化は明治以降近代化の過程で解体されたと考えられています。米国の捕鯨が日本の伝統捕鯨に被害を及ぼしたのは事実のようですが、それでもノルウェー式捕鯨砲の導入を決めたのは日本人自身の決断ではなかったのかと。日本の近代捕鯨初期にはノルウェー人の砲手や朝鮮人の船員が多く携わったようですが、これとてノルウェー人と朝鮮人が日本人に雇用を強要したわけではありますまい。すなわち、日本の伝統捕鯨文化破壊の犯人をあえて挙げろというならそれは他ならぬ日本人なのではないかと。この歴史的遷移を文化破壊というなら、文化は常に破壊されてきたし、これからも破壊されいていくのです(例えば養蚕業のように)。また、捕鯨と文化を結びつける言説は広告会社によってごく最近作り出されたものであることが示されています。

 「日本は捕鯨禁止という国際規範を拒絶するために文化的相違の議論を構築したのであって、その逆ではない。(石井&大久保 2007)」

 クジラを日常的に食した世代の人の回顧でも、クジラ肉を伝統文化としてとらえてはいなかったことがうかがえます。
鯨が可哀相
http://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/11b18f7402674bcb6c903dfc9995ec6a

大学の食堂で食べた「すげい」の話は以前に書いたと思う。豚肉の代わりに鯨肉を使ったから酢豚が酢鯨になったのである。牛肉、豚肉より鯨肉が安かったのだろうか。「すげい」の張り紙があるときはよく注文したものである。しかしこの「すげい」を境として私と鯨肉とのお付き合いはなくなってしまったように思う。もともと代用食のイメージだったから、牛・豚肉が出回るようになると鯨肉はわが家の食卓からはやばやと姿を消してしまった。


 上で述べた伝統文化の断絶に加え、戦前の国際的捕鯨規制を日本が無視しつづけたという事実をふまえると、日本が自画像として描く「捕鯨の優等生」像はかなり疑わしくなります。戦後一時的に全国民的に普及しただけの鯨肉食を伝統と呼ぶなら、国際社会で「捕鯨の問題児」でありつづける方がより長い日本の伝統と呼べてしまうのでは。「行け!稲中卓球部」の前野を思い出しますね。手もとに本が無いので正確な引用は出来ませんが、「自分のことを頭いいと思っているタチの悪い大バカだ」と第1回で言われていました。

 科学の面についてもすでに述べましたが、いくつか補足を。
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/morishita/1/#c33

「クジラが大量の魚を食べるから,漁業と競合しているから捕獲すべきだ」という考え方は,しばしば誤って伝えられるか,意図的に誤って伝え,捕鯨支持の主張がおかしいという理由に使われています。
 例えば,漁業との競合の「可能性」については,我々は世界中の海洋で生じているとは言ったことはなく,むしろいくつかのホット・スポットで重要な問題である可能性があると考えています。
 もちろん漁業者の乱獲による漁業資源への影響は否定できない事実であり,漁業資源悪化の責任をクジラに押し付ける意図は毛頭ありません。いくつかの海域では,クジラによる捕食が大きく,漁業管理においてはその影響を勘案しなければならないと言っているのです。


 森下さんは上のように述べていますが、競合説が「誤解」を受けやすいのはパンフレットによく書かれている「クジラは全人類の漁獲の3?5倍のサカナを消費している」というのが原因だと思います。最初に地球全体の話をしておきながら、「でもそれは関係なくて?局地的に?」などと続けられると普通の理解力では混乱します。

 さて、最近鯨研が論文を発表したようです。
Decline in energy storage in the Antarctic minke whale (Balaenoptera bonaerensis) in the Southern Ocean
Konishi et al., Polar Biol (2008) DOI 10.1007/s00300-008-0491-3

 致死性調査を必要とするデータを含むものが査読付きの国際誌に載ったという点、調査捕鯨の成果と言えましょう。著者の人びとは並ならぬ努力をしたはずです。ただ、こういう論文はむしろ例外的である点はかわらず、調査捕鯨の抱える根本的問題は未だ解決されていません。すなわち、研究予算を得るためには鯨肉を販売しなければならないため、殺す必要がなくてもクジラを殺す理由を考えなければならないのではないか、という問題です。この状態で科学の健全さが保てるか、という疑問はドーキンスなども指摘する通りです(追記参照)。youtubeでこのような動画を見つけましたが、私も鯨研発表の論文を検証して同様の感想を持ちました。(ビデオの中で失笑を買っている「クジラの精子をウシの卵子に云々」という帯広畜産大学との共同研究は突飛に聞こえますが、論文は割と良く引用されているので、専門の人には意味のあるもののようです。南極でクジラを大量捕殺することを正当化できるものではありませんが。)

http://www.youtube.com/watch?v=gYtecbI6ve8

 さらに最近の報道で、大手水産会社は南極捕鯨再参入に消極的であることが示されました。この状況で南極のクジラを対象に捕鯨の研究をする意味があるのかという問に対し、「捕鯨技術の伝承」と言われ始めましたが、それは科学と関係あるのか?私があまりにも疑り深くなってしまったからか、以下のリンクを読んでもいまいち腑に落ちないのだ。
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/ohsumi/2/

 ナチスに抵抗した科学者や知識人はいたのでしょうが、結局ナチスの台頭を食い止めることは出来ませんでした。ナチスと比較するのは不適切かもしれませんが、捕鯨問題については日本の科学者の無力さが露呈したのでは無いかと。調査捕鯨に公然と疑問を呈しているのは鯨類学者の粕谷先生と水産資源学者の勝川先生くらいでは。あとは、政治を専攻する研究者のほうが本職の科学者よりよっぽどものを知っている状態ではないかにゃ?と。

科学的な素養があまりにもないままだと、
第2の捕鯨や第3の捕鯨は、
いくらでもでてくるように思うんです。


 まぁ、その通りでしょうなぁ(別の意味でだけど)。内田樹先生の話を思い出しました。

たしかにこれくらいものを知らなければ人類の歴史は「グッドガイ」と「バッドガイ」の二極のあいだの戦いであるというパッパラパ世界史認識に着地してしまうのも致し方あるまい。


 こうした問題が解決され、余計な事にとらわれることなく鯨類研究が行われることを望みます。

参考文献
1)「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」星川淳 幻冬舎新書
渡邊洋之著「捕鯨問題の歴史社会学」(現在Amazonでは入手できない)を多く参考にしているようです。

2)国際捕鯨規制の起源と日本 真田康弘
kkuri.cache.waseda.ac.jp/~kkuri/seeps2006/pdf/2033_wmDCG8nt.pdf

わが国近代捕鯨について触れられる場合、しばしばそれは鯨体の完全利用という伝統捕鯨と西洋捕鯨技術が和合したものであり、その意味では理想的な捕鯨の形態であったとする示唆が現在においてもしばしば見受けられるが、むしろ事実は相当異なっており、完全利用が伝統であったと仮定するならば、こうした伝統からの隔絶こそが、むしろ日本の捕鯨レジーム参加を阻んだ一因であると捉えられるべきであり、鯨体の利用率が飛躍的に向上したのは戦後の食糧難を乗り切るために再開された捕鯨からであったという点も結論として提示され得よう。


3)日本の捕鯨外交を問い直す 石井敦 大久保彩子 真田康弘(訳)
www2s.biglobe.ne.jp/~stars/pdf/Ishii_Okubo_JIWLP_J.pdf
AN OPEN LETTER TO THE GOVERNMENT OF JAPAN

May 20, 2002 (The New York Times)

Despite its obligation to comply with a global moratorium on commercial whaling, Japan has killed thousands of whales over the past decade, claiming an exemption for “scientific whaling” under international law. We, the undersigned scientists, believe Japan’s whale research program fails to meet minimum standards for credible science. In particular:

We are concerned that Japan’s whaling program is not designed to answer scientific questions relevant to the management of whales; that Japan has refused to make the information it collects available for independent review; and that its research program lacks a testable hypothesis or other performance indicators consistent with accepted scientific standards.

Most of the data being gathered by Japan’s “scientific whaling” are obtainable by non-lethal means; it is
possible, for example, to determine species, gender, population size, migration patterns, stock fidelity, and other key biological information without harming whales. Yet Japan’s whale research program kills hundreds of whales each year in the absence of a compelling scientific need.

The commercial nature of Japan’s whaling program conflicts with its scientific independence. Japan sells meat from the whales it kills on commercial markets and assigns “scientific whaling” quotas to individual whaling villages. These commercial ties create a profit incentive to kill whales even when no scientific need exists, raising troubling questions about the motives behind Japan's program.

Japan has announced it will soon begin killing sei whales, an internationally listed endangered species,
ostensibly to determine the whales’ diet. Yet Japan has already analyzed the stomach contents of nearly 20,000 sei whales it killed during the past fifty years. There is no reasonable likelihood that killing additional sei whales now will add to what is already known about their diet.

By continuing to fund and carry out this program, Japan opens itself to serious charges that it is using the pretense of scientific research to evade its commitments to the world community. As scientists, we believe this compromises objective decision-making and undermines public confidence in the role of science to guide policy. Accordingly, we respectfully urge the Japanese government to suspend its “scientific whaling” program.

Frederic Briand,

Theo Colborn,

Richard Dawkins,

Jared Diamond,

Sylvia Earle,

Edgardo Gomez,

Roger Guillemin,


Sir Aaron Klug,

Masakazu Konishi,

Jane Lubchenco,

Alan MacDiarmid,

Laurence Mee,

Eliot Norse,

Giuseppe Notarbartolo di Sciara,

Gordon Orions,

Roger Payne,

Carl Safina,

David Suzuki
,

John Terborgh,

Edward O. Wilson,

George Woodwell,
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テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済

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