3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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そのウソ、ホント?

http://www.whaling.jp/qa.html#06_03

Q.
クジラは捨てるところなく利用できると聞きましたが、本当ですか。

A.
本当です。日本人は、クジラを油や肉だけではなく、骨や皮まですべてすてることなく利用してきました。1832年には鯨の約70もの部位について料理法を記載した「鯨肉調味方」が出版されています。日本人にとってクジラは魚。貴重なタンパク源として古くから利用されてきました。皮、五臓六腑まで食べ物として利用する日本のクジラ料理は世界にも類を見ない素晴らしいものです。


 よく聞く話ですが、私はこれについてものすごく誤った解釈をしていました。すでに的確な考察は駒沢亭日乗で行われていましたのでこちらをご参照ください。慧眼、恐れ入ります。

駒沢亭日乗:捕獲されたクジラは本当に無駄なく使われているか?
http://komazawa.blogzine.jp/diary/2007/06/post_43af.html

 調査捕鯨ですら鯨肉を投棄していたことが分っています。以下GPの資料より抜粋。

情: 私、実際、共同船舶の方で、南極海で捕鯨の方に、調査の方に乗
  っていましたので。なぜ言おうと思ったのかというと、調査と
  いう名の下で結構な量のクジラの肉を捨ててたという事実が
  あるんでね。これはちょっと調査じゃないんじゃないかとい
  う、ちょっと疑問を持ちましてね、これは良くないということ
  で、感じて話したくなったということなんですけども。
調: クジラの肉を捨てていたというのは、具体的にはどういうよ
  うな形で行なわれたのでしょうか?
情: グリーンピースやらシーシェパードの妨害活動で捕れない時
  期があったので、急遽、急いで捕らなきゃならないという状況
  になって、一日にミンクで20頭以上捕ることが多かったんで
  すよ。そのときにはほとんど、20頭以上あがったときにはとき
  にはほとんど、雑肉ですかね、コギレとかムナサンとかいう雑
  肉はもう手が回らないんで、次の日までそのままあるんです
  よね。朝7時になったら次の新しいクジラがあがってくるもん
  ですから。その次は捌ききらないで、処理しきれなくて全部捨
  てちゃうんですよね。約ミンク一頭から350キロくらいの雑肉
  がありますから、20頭で、単純計算で7トンくらいは捨ててる
  という感じですね。
  
調: それはほぼ毎日のように7トンくらいの肉が捨てられてると
  いうことですか?
情: そうですね。20頭以上あがった時には間違いなく捨てますね。


 ましてや現在では需要のない鯨油や、日本でいくらでも手に入る肥料の足しになるかどうかわからない鯨骨(=生ゴミ)をわざわざ南極から持ち帰るのは商売人としては失格ですな。ミンククジラの全身骨格標本?毎年数百頭捕殺しているのだから、日本中の博物館で見られるはずなんですがね。捕鯨船の倉庫には出来るだけ商品価値のあるものを詰め込みたいものです。ウネスとかね。

 ところで江戸時代というのはものすごくリサイクル体制が整っていてそもそもゴミというものがあんまりなかったと聞いたんですがね。こことか。

 つまり、クジラが余すところなく利用できる特別な存在なのではなく、昔の人間は利用できるものは何でも利用していたということなんじゃないでしょうか。現在でも例えば肉牛だって、皮革製品に利用したり(私の革ジャンとか)、ギターのナットに牛骨を使ったり(私のギターとか)、肉骨粉として飼料に使ったり(これはもうないか)、余すところなく色々利用されています(肉骨粉はアダになったが)。ニワトリの頭や足もペットフードなどに利用していると聞きました。鯨油にしろ骨にしろガンのある内臓にしろ、現在では商品価値の低い/なくなった部分があるクジラは現実的には「捨てるところなく」利用できる存在ではないでしょう。いいか悪いかは別として、余すところなく利用されてるのは家畜の方なんじゃないかと思えてきます。骨までしゃぶり尽くされている、と言うべきか。

伝統的な沿岸捕鯨はどうでしょうか。
http://www.whalelove.org/wagon/story/story02 より
千葉県鋸南町 江戸時代の捕鯨について
 醍醐新兵衛(1632-1704)により始められた
 夏の時期だけ 年約7頭捕獲
 クジラからとれる油が最も商品価値があった(灯火、害虫駆除など)
 肉は漁師に分配

現在の和田の捕鯨
http://www.mboso-etoko.jp/top/goodlife/disp_A.asp?id=5494&group=17
 夏の間だけ ツチクジラ 年間26頭

 昔の沿岸捕鯨だったら余すところなく利用できたのでしょうが、現在は鯨体を陸に引き上げるスタイルの捕鯨でも、捨てるところなく利用するのは難しいんじゃないかと思います。なぜかと言うと。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0116-4.html

汚染濃度は鯨の種類や部位により大きく異なるが、ハクジラ類(ツチクジラ、イシイルカ等)の脂皮、肝臓等には濃度の高いものがあった。

特にハクジラ類の皮部や内臓は汚染が多く、食用とするには何らかの摂食指導が必要と考えられる。


 こうしたクジラの汚染度の高い非食用部分をそのまま肥料などとして利用するのは問題があるのではないでしょうか。また鯨油を生産しても(歴史的な作業として見学の価値はあっても)需要がないでしょう(PCBとかも入っているだろうし)。

 つまり、1)昔クジラが余すところなく利用されていたのは当時としては当たり前のことだったし、クジラ以外のものだって余すところなく利用されていた 2)現在クジラを余すところなく利用することは、南極から輸送するコストや近海クジラの汚染を考慮すると非現実的である、ということだと思います。なにか偉そうに捕鯨推進の理由としてできる話ではありません。それを「捨てることなく利用してきた」と現在完了形(継続)のような表現をするのは如何なものか。「捨てることなく利用していた(現在は捨てる部分がある)」とはっきり過去形で言うべきです。

 さて「クジラと日本人」(大隅清治、岩波新書)にはこうあります。

 クジラを食用に利用する点では、日本型捕鯨は先住民族生存捕鯨と共通する。しかし、日本型捕鯨は利用を徹底して、鯨体のすべての部分をその用途に応じて製品とし、料理法を工夫して鯨食文化を発達させて、有効に役立てている点で、日本型捕鯨の方が優れている。その上、第III章でも紹介したように、日本型捕鯨は捕鯨にまつわる多様な伝統文化を育ててきている。
 すでに欧米型商業捕鯨は失われており、これを今後そのままの形で復活させるべきではない。これから再開する捕鯨は、日本型の持続的捕鯨でなければならない。現にノルウェーで一九九三年から再開された捕鯨は、皮や骨や内臓を捨てたりして、まだまだ無駄が多いけれども、食用としての鯨肉の生産を目的とする点では日本型捕鯨に近い。


 江戸時代にはゴミの排出を極めておさえるリサイクル体制があったようですが、現代の産業/社会構造のもとでクジラだけ都合よく全て利用できるなんてことはないんじゃないでしょうか。

 もう一つ。「捕鯨は日本の伝統文化」について。これもウソではありませんが、もっと正確に言えば捕鯨文化を持っていた地域もある、ということでしょう。先に挙げた江戸時代の和田浦の捕鯨でも、鯨油を主目的とした年間7頭の捕獲数では、クジラが常食されていたとは考えられません。捕鯨を行っていた地域ですら、伝統的にはクジラは日常食ではなかったのではないかと思います。

 パオロ・マッツァリーノはこのように述べています。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson6.html

 しかし今回私は、資料を見つけるのにけっこう苦労しました。それは私が日本史の専門家でないせいもあります。でもそれにしても、です。職人や商人の生き方や長屋の暮らしぶりなど、真面目な町人の生活についてかかれた資料は山ほどあるのです。反対に、最下層の貧民や犯罪者に関しての本にも事欠きません。問題は、その中間です。違法とまではいかないけれど、不真面目でいいかげんなフリーターのような町人が少なくなかったにもかかわらず、そのことに触れている資料はごくわずかしかないのです。

 その理由は明らかです。江戸時代に関する資料や本を執筆した人たちが、日本人勤勉神話に洗脳された現代人だからです。しかもそのほとんどは中高年なのです。彼らはこどもの頃から日本人勤勉神話を教えこまれ、それを美徳として育ってきました。ですから、自分の常識からはみだしたものは、見たくもないし、調べもしないし、書きもしません。職人や商人が一人前になるまでどれだけ苦労したか、なんて話は現代の労働美意識と合致するので喜んで書きますが、その日暮らしを謳歌していたという事実は、労働美意識に反するので無視します。歴史的事実はたったひとつですが、歴史の解釈は、のちの世の道徳・倫理観によって異なるという見本です。


 同様のことが捕鯨にも言えるのではないかと思います。捕鯨をやっていた証拠や、クジラを神と崇めて捕鯨を禁忌とした証拠ははっきりとしたものが出てきます。しかし「クジラにあんまり興味がなかった」という資料はなかなか出てこないのではないでしょうか。そして、消費量や流通からみても伝統的に多くの日本人は、クジラを常食していたとも、鯨食に特別の執着を持っていたとも考えられません。私は千葉県に10年以上住んでいましたが、和田で捕鯨をしていることは学校でも習いませんでした。「日本人は昔からクジラを食っていた」神話に洗脳された人は、限定的文化を普遍的なものと拡大解釈してしまうのでしょう。事実の間違いではなく、事実の捉え方の間違い、というやつです。

JUN MORIKAWA: I agree that there was a kind of whale-meat eating culture, but pretty much localised. It cannot be said it's a national culture.

http://www.abc.net.au/worldtoday/content/2005/s1417684.htm
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