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ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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クジラ害獣論のプロトタイプ?

こんな本を読みました。

ジビエを食べれば「害獣」は減るのか 和田一雄 八坂書房 2013

 図書館で見かけたとき、著者の名前に思い当たるものが。1970年代に日本の捕鯨政策の抱える基本的な問題をすでに指摘(鯨類資源管理理論に関するコメント 哺乳類科学 第28・29合併号 1974年)していた動物学者で、その論文では所属が京大霊長研とあったので霊長類学者だと思っていましたが、本書を見ると海獣を含む様々な哺乳類を研究してきた人でした。この本の中では色々なことが論じられているのですが、著者の和田さんが海獣研究の過程で経験した水産庁の態度があまりにもすごいのでその辺を中心にメモ。

国有林や公有林では一応形式的にも国民の意見を反映させる場を設定している。海では所有権もないのに、したがって資本投下も必要とせずに莫大な漁業資源を漁協傘下の漁家が漁獲し、利益を得る。海の資源に関して国民の意見を反映させる機会はほとんど用意されていない。なぜこのような資源の利用形態が出来上がったのだろうかという素朴な疑問が頭から離れずに居座ったままである。 (p3)



 ロヴィーンの「沈黙の海」を読むと、漁業は洋の東西を問わず似たような問題を抱えているようです。養殖でない限り「魚を育てる」ことに注意を払う必要が長らくなかったのが一つの原因ではないかと思います。漁獲されるマグロがどんどん小さくなっていくという話を聞きますが、日本に限らず、過剰漁獲により大型魚種が次々と姿を消し、獲物が小型化していく現象は広くみられています(Pauly et al., Science 279: 860 (1998))。

[1960年代のオットセイの捕獲調査について] 水産庁は、とれたオットセイの毛皮を日露毛皮株式会社に引き渡す契約を取り交わしているので、捕獲数が少ないとなぜ獲らないのかと問い合わせてきた。 (p178)


[オットセイの保護について] その過程で、唯一日本がオットセイの海上猟獲を主張した。一九六〇年代のことだ。私達オットセイ研究室員が水産庁に呼び出されて、海上猟獲に有利になるような資料を取れ、との命令を受けたことがあったが、そんな資料は取れるわけがないので、みんな黙して何も言わなかった。国際会議では水産庁の官僚が日本では海上猟獲の可能性を探る調査をすると述べた。それを私達がやるのだが、特にそんな観察資料が出るはずもない。こうした時期に水産庁のオットセイ害獣論が出た。当時まだ、日本では北洋でサケ・マスの流し網を操業していたので、その網を船に上げるときオットセイがまとわりついて見事にサケを食べていく。これでは食害が多すぎて漁業が成り立たないので、ある程度のオットセイを海上猟獲すべきだという主張だ。
 しかし、国際的に認められるはずもなく、害獣論は消えた。なぜ、水産庁はこんなにまでオットセイの海上猟獲にこだわるのか、には当時理由があった。公海漁業自由の原則と称して、世界中の海に進出していた大漁業会社の利益に奉仕するためだ。そのような〝自由〟も、一九九四年に日本でも発効した国連海洋法条約によって世界から認められなくなった。 (p189-190)


 鯨食害論の原型はここにあったのか!?というか官僚のやることって本当に前例を踏襲することなんだな。なんだか昆虫の本能行動を見ているかのような感覚すら覚えます。○○を知りたいから専門家に調査研究を依頼するというのは普通だと思いますが、結論が××であるような調査研究結果をもってこいというのは(論文の捏造ではよくある話だが)普通とは言えません。調査捕鯨についても下のような鯨類学者の証言があります。

私は80年代に水産庁に在籍し、調査捕鯨計画の立案にかかわった。その際、我々に与えられた条件は「経費をまかなえる頭数を捕鯨でき、しかも短期では終わらない調査内容の策定」だった。今では、法の網をくぐるような調査捕鯨の発足に手を貸したのは、うかつだったと悔やんでいる。
(殺さずとも解明可能 「科学目的」に疑問 - 帝京科学大教授・粕谷俊雄氏 毎日新聞 2005年10月3日)


 このオットセイ害獣論がメジャー化しなかった一方で、鯨食害論が現在もしぶとく残っているのはのはなぜなのか。クジラについては外国との対立を煽るような宣伝が大成功したからでしょうか。

海に棲む動物はすべて水産庁傘下にあるとして、他の官庁は関係を持ち得なかった。そして水産庁の目的はいかにして水産動物を資源として利用するかにあり、保護・保全はその目的に含まれていない。 (p196)


[ゼニガタアザラシの保護について] 私達がゼニガタの文化財指定を目指したことについては理由があった。一九七三年八月に私達は水産庁野生動物担当の海洋漁業部国際課(旧海洋一課)をたずね、そこの係官にゼニガタの保護の可能性について質問した。答はこうだった。「産業的にほとんど意味のないアザラシ猟にまで手は回らない。海に生息する動物は原則的に自由に捕獲すべきもので、規制をかけるべきではない。ゼニガタは現在漁業資源ではないけれども、将来資源になるかも知れず潜在的資源として扱っている。あなた方が心配されるなら、科学的資料をそろえて道庁の水産関係の部局に相談してみたらどうか。そこからわが課に案件が上がってきたら、対応しましょう。ゼニガタに一定の規制を設けるなどについては許可しないかもしれません」。
 これでは水産庁のゼニガタ保護政策に期待することは非現実的であると誰もが考えるだろう。 (p204)


 スジイルカ保護についての水産庁のコメントとよく似ています。“You do not need to worry about the situation because the fishermen will find some other items to fish if striped dolphins disappear because of over-fishing.” (Kasuya, Mar Mammal Sci 24: 749 (2008))。オットセイやアザラシの研究を通じて水産庁の態度を間近に見ていたからこそ、捕鯨についても本質を捉えることが出来たのでしょう。このアザラシとイルカの話は70年代のことですが、今でも水産庁は資源保護に積極的なようにはみえません。

トドの餌になる魚の管理は水産庁所管で、その背後には水産業会が控えている。トドや他の水産動物の関係まで含めた資源管理などという発想は業界、それを背景にした水産庁からは出てこない。これまでの魚の取りすぎは市場の論理に従った結果なのだ。資本とは最大の利潤を追求するのが使命だとするとこれまでのやり方の後追いしかできない。魚類は海の中の生物的諸関係の循環の中で動いているので、かれらの個体群動態も同様な関係の中にある。それゆえ、資源として魚を利用するときの管理は市場の論理ではなく、魚類の個体群動態に従って人間の利用できる範囲が決められる、自然の論理に従う必要がある。漁獲したあとの流通は市場にゆだねられる。このような流れを作るためには、官僚と資源管理研究とが対等の立場で、政策決定、政策実行に携わることが求められる。 (p6-7)


学問の相対的独立性を重視した体制を作り、せっかちに結果を求めるのではなく、長期的な視点に沿って野生動物と人間の生産活動の調整に資するような、創造的な調査・研究が出来る環境整備が必要である。
 このように袋小路に入り込んでいる資源管理を正しい方向に向かわせるにはどうしたらよいのかは明らかだ。世論に訴えることしかない。 (p8)


陸も海も自然を長期的視点で利用するには、官僚を野放しにすることのないように、政府とは独立した科学者の常設委員会を作り、そこが政府に勧告することが必要だ。そしてそれを政府が尊重して、実行に移す社会的な流れを作ることが緊急に求められている。 (p274)


 解決策として、広範な関係者の間での情報共有と発信、社会や行政への働きかけなどとともに、独立性の強い科学委員会の設置が提案されています。これは「クジラコンプレックス」で言われている国会直属の科学技術評価局の設置や、「解体新書『捕鯨論争』」のオンブズマン型研究とも符合します。捕鯨に関する科学の議論を顧みるならば、調査捕鯨はその科学的意義の無さから10年以上前に廃止されていてもおかしくはありませんでした。その調査捕鯨が30年近く存続しているのは、記者クラブ制度により国内報道は日本側の大本営発表を垂れ流すだけで、科学論文としてあらわれる調査捕鯨への重層的な批判を遮断してきたことが主な原因の一つだと思います。しかしもし仮に、メディアが垂れ流す以外の情報を「科学技術評価局」が提供していたなら、捕鯨議論の状況は変わっていたかもしれません。もちろん、原発の運用はどうなっているのかなどを考えると、「科学技術評価局」が大本営発表を追認するだけの組織になってしまうおそれもあるわけですが。実際、本書でも以下のようなくだりがあります。

[長野五輪に際して] すでに一九八七年には岩菅山に新しい滑降コースを新設することが計画の中に盛り込まれた。従って調査委員会はコース新設が適当だというお墨付きを提出することを委ねられた。地元の自治体、大学教授で固めた委員会では見え見えの手続きだ。そして一九八九年には調査委員会はコース設定が適当であるという内容の答申をした。私としてもこのような動きを黙って見ているわけにはゆかない。 (p80)


 ただやはり、科学的な要求に基づいて、腰の重い行政に変革を働きかける何かしらの機関は必要ではなかろうかと思います。
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