3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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敵の敵は敵的時代、

もしくは、ニセ科学批判=ニセ科学批判批判?

ニセ科学が権力とカネ儲けを目的とするものである以上、「敵の敵は味方」が成り立ち、つまりはニセ科学批判・批判者はウソツキや人殺し(=ニセ科学推進者)の味方になっちゃうのよ。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090302/1235924264



 上の記事がニセ科学批判批判の代表例として念頭に置いているのは、歴史修正主義における「妖怪どっちもどっち」みたいなものであるというのは理解出来ますし、実際そういうネット参謀気取りみたいなのは実在すると思います。しかし、こうした文脈を無視して単純すぎる結論(=ニセ科学批判を批判するものは全てニセ科学の味方である)を引き出すのがいそうな気がします。

 私はすこし毛色の違うニセ科学を取り扱ってきたと思います(「水からの伝言」やホメオパシーについては既に充分な批判がなされていたからというのもあるが)。捕鯨に関する議論は、日本政府が一方に肩入れしているもので、調査捕鯨には水産官僚などの利害関係が絡んでいます。また「沈黙の春」をマラリアと関連させるのは化学産業界の規制回避の意図があるといわれています。ニセ科学の定義とかサウンドサイエンスイデオロギーとかの議論はおいといて、これらが科学と言えるかどうかを問うなら、やはり科学に見せかけた科学でないものです。

 こうした訓練されたニセ科学ともいえるものについて、ニセ科学批判者の多くが脆弱であることを見てきました。「捕鯨問題に見るエア御用」では、ニセ科学批判者が学術文献を調べることもなく大本営発表に与するのをみました。「私が支持されないのはどう考えてもお前らが悪い!」では、全く科学的根拠のないデマに飛びつく自称科学的な人たちをサンプルしてきました。日本国内の捕鯨議論は歴史修正主義の一面を持つものですし、カーソンへの攻撃も修正主義によるものです(参考:過去を書き換えた影響)。ニセ科学批判の看板を掲げてこれらのニセ科学に加担した者は多くいますが、これらのニセ科学を批判したニセ科学批判者は寡聞にして知りません。斯様なことがありましたので、このツイートについても、何かをやらないことを責めたのではなく、修正主義に無自覚な者が陥りがちなニセ科学に警鐘を鳴らしたものだと私は解釈しています。逆に何かやらなかったことを攻撃したツイートはずいぶん人気があるようで。

 エア御用という概念がどれほど使えるかはおいといても、上で挙げた例はエア御用と呼ぶに相応しいものだと思います。逆にエア御用など存在しないというなら、それを証明するのもまた簡単です。私が挙げた具体例について、彼らの言っていること(捕鯨で畜産を減らせるとか、昔の鯨の数が多すぎた可能性があるとか、ミンクとシロナガスが競合しているとか、「沈黙の春」がマラリア流行の原因とか)に科学的と言えるほどの根拠があることを示すか、または彼らがこれらのテーマに利害関係をもつ真性御用であることを示せば良いのです(松永和紀あたりは真性御用かもしれないが)。

 ニセ科学を批判する人間が別のタイプのニセ科学に取り込まれるのは、在特会批判を行う人間の多様さに似ています。在特会にノーを叩き付ける行為は私も絶賛するものですが、在特会を批判しているからといって山野車輪や小林よしのりがまともとはいえないわけで。ここでは「在特会を批判する僕ちゃんを批判する者は在特会の味方」などという論理は通用しません。差別の問題に少しでも真剣に取り組んだことがあるなら、悪意をむき出しにした差別はむしろわかりやすくていい方で、様々な形で社会に組み込まれた明白な悪意を伴わない差別の根深さに震えた経験を持つはずです。そしてこうした顕然あるいは隠然とした差別意識は修正主義を裏打ちするものの一つです。修正主義者には人権感覚もリテラシーも期待出来ません。

 「水からの伝言」やら江戸しぐさやらのウソを徹底的に指摘するのにはもちろん賛成ですが、こうしたあからさまなニセ科学さえ批判していればそいつが他でもまともという保証はどこにもありません。それどころかEM菌ごときに大騒ぎする人間にまともなのがいないのではないかという印象すら私はもっています(毎日新聞の記者とか)。「花は盛り、月は隈なき、氷山は一角」でも同じようなことを言いましたが。

 在特会やらホメオパシーやらの明白な間違いを認識できたところで、別の差別やニセ科学にはまってるんじゃどうしようもありません。99の本当の中に1つのウソが混ぜられた時に、その1つのウソを選り分けられるのがリテラシーというものでしょうが、こうした問題はやはり理科の知識だけではなく、それ以外の要因が問題を見る姿勢に影響するのでしょう。

 特に3.11後、「水からの伝言」や南京大虐殺否定論だけ相手にしていれば大同団結できた時代は終わったと感じる今日この頃。政府の捕鯨に関するウソや「沈黙の春」に関する化学産業界のウソに乗っかった人たちが、大企業と政府が一体となって推進してきた原発について適切に評価出来るとは考えられません。ニセ科学批判者は「身の回りのゴミを片付けているだけ」と言いますが、そのゴミ掃除人がわざわざCarson's gardenや鯨の海をゴミで汚しにやってくる理由は説明できないわけです。ニセ科学批判の看板に幻滅を感じ続けているのは私だけではないでしょう。
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