3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

Blinded by science

In the eyes of defiance
We're blinded by science

Blinded by science, Steve Howe


 上のハウの歌は科学への素朴な疑問(食品添加物など)を歌ったものですが、"Blinded by science"は官製ニセ科学やサウンドサイエンスの意図する状態でもあります。

 サウンドサイエンス的なものに惑わされないためにはどうすれば良いのかをずっと考えています。看板として掲げられる「科学」の中身をきちんと問うことは基本ですが、この手のニセ科学は利害関係に基づく権力側のイデオロギーの発露であるがゆえ、議論は究極的には科学的事実ではなく価値観を争うものになります。わかりやすい例は核の冬を巡る議論で、タカ派は核戦争になっても核の冬など来ないと主張したのですが、私はだったら何なのだとしか思いませんでした(リアルタイムで論争に参加したわけではないが)。そもそも戦争に反対しているのだから、「科学的に考えて核の冬など来ないのだから核兵器保持をためらうべきでない」という意見に賛成することなどありえません。

 科学の中身を問うことと、科学的事実以外についての自らの価値判断を明確にすることが、サウンドサイエンスなどに騙されない基本なのかもしれません。科学者以外の人間が多く関わる全社会的な問題は、究極的には価値観の議論になります。「科学的事実に基づく判断」は多くの場合正しいかもしれませんが、優生学だって科学に基づく判断を唱えています。科学的事実は正しくとも、判断内容の是非は事実と別に問われます。科学的根拠があれば差別して良いとはいえんでしょう。

 モジモジさんの声明にもサウンドサイエンスに抗する知恵が含まれています。

モジモジさんはこういった。

http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/d/20121213
「無知で冷静さを欠いている」かのように見える市民にこそ学んで下さい。その声が無視され、軽んじられている人のために語って下さい。


こんなことを考えた。

 科学は常に内容が議論されてこそ科学でいられるのであり、「科学的=正しい」と錦旗化してしまうとニセ科学と同じです。ところが実際には、政府やそれなりの権威が「科学」という言葉を使った場合、なかなかその中身は検証されません。調査捕鯨が野放しになっているのはいい例です。感情的、非科学的、差別的というレッテルを相手に貼ることに成功すれば、誰もまじめに捕鯨反対派の意見に耳を傾けなくなります。同様のことが「沈黙の春」でも起きました。まさにBlinded by scienceです。ゲバラは、革命家は人民の知恵の泉に学ぶべしと言いましたが、全社会的な問題については科学者が発見した「真理」を「啓蒙」するのとは異なるアプローチが試みられているようです(参考:http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=33797588)。

モジモジさんはこういった。

 真実は、批判と応答を通じて初めて、姿を現します。政府をはじめとする権威が語ることではなく、その反対側に立ち、権威に対して反問することを通じて真実が明らかになるように行動して下さい。


こんなことを考えた。

 双方の意見を表面的になぞるだけでは結局足踏み状態にとどまってしまいます。サウンドサイエンスを繰り出すのはそれなりに訓練を受けた科学者だし、官僚も東大話法を駆使した作文には手慣れているので、これらの前では、学校で良い成績をあげるのに重要だった秀才的物わかりの良さが仇になり、ころっと騙されます。一般的に望ましいとされる中立公正な態度を貫こうとするよりも、むしろどちらか一方の正当性を積極的に確認する態度で検証にあたった方が「正解」にたどり着けるというのが個人的な経験です。捕鯨賛成反対双方の意見を見ているだけでは判断はつかなかったのですが、調査捕鯨の科学的成果を反対派に説明するべく自分で論文を調べた所、調査捕鯨の科学的成果なんぞ事実上ないことがわかりました。

モジモジさんはこういった。

まちがってもいいのです。常に弱い側に立ち、その軽んじられる言葉や存在を擁護し、自らが仮にまちがうとしても、逆説的に、権威との言説の応酬の中で真実が明らかになるように、語って下さい。あなたの専門分野が何であるかは、関係がありません。勇気をもって下さい。


こんなことを考えた。

 テストで○がもらえるかどうかだけを気にするべきではありません。むしろ問いの枠組み自体を検証することが必要です。例えば「調査捕鯨で捕獲されているクジラは絶滅危惧種か?」「クジラは頭が良いというのは本当か?」「クジラの年齢はどのように推定されるか?」「一年でクジラ類が消費する魚介はどのくらいか?」といった問題に理科的に妥当な答えを探し出したところで、なぜ日本の調査捕鯨が非難されているかは理解できません。このように、ウソを含まない事実を並べるだけでも、その並べ方によっては重要な問題を隠すことも出来るのです。

 ○×にこだわるべきでない他の例は次のようなものがあります。1)「かけ算の順番」を秀才君が理解したところで一体何になるでしょうか(参考:http://togetter.com/li/422486) 2)旧文部省の作り出した漢字の「真理」はどこまで通用するでしょうか(参考:http://yeemar.seesaa.net/article/88418852.html) 3)「XXという言い方は間違い」というレベルの日本語一行知識はよく見かけますが、本職の日本語学者はどう考えているでしょうか(参考:http://yeemar.seesaa.net/article/88832450.html)4)グールドは、現在では突飛に見える「精子人間」を仮定した発生学の前成説を、分子生物学の観点から再評価しています。これらの場合、問いのたて方や枠組みが問われています。

 捕鯨問題や「沈黙の春」については、私は確たる文献を挙げてネチネチネチネチ陰湿に他人の間違いを指摘していますが、科学の問題でこうした「と学会的手法」が通じるのはほんのわずかで、むしろ例外の部類でしょう(科学は滅多に断言できないから)。遺伝子組み換え作物や核災害などについては、科学的事実よりも問題設定の妥当性が重要になると思います。例えば遺伝子組み換え作物については、その安全性が最重要点なのではなく、むしろ大企業が契約書をたてに個々の農家の生産活動を支配する所により明白で大きな問題があると考えています。遺伝子組み換え作物が有害であるという科学的証拠を突きつけてモンサントを平伏させる、などということは多分起こりません(DDTの安全性の議論と同じようなことになるだろう)し、安全性が確認されたらGMOを受け入れるということでもありません。安全性だけが議論されたのでは、より大きな問題が見えなくなります。

 最後にモジモジさんが取り組んでいるがれき処理の問題ですが、調査捕鯨がごく一部の官僚によって決定されたことを鑑みれば、誰がどのように広域処理を決定したのかを重点的に検証すれば実態が見えてくると思います(私にそれを検証できる自信はないけど)。これは科学だけで完結する話ではないはずです。また、広域処理推進派の陣容が官僚、政治家、御用エア御用である点が気になりました。これこそ鯨類科学を腐敗させた翼賛陣形です。

 科学の中身を問い、科学的事実以外についての自分の価値観を明確にすることがサウンドサイエンスに惑わされない姿勢だろうと述べましたが、似たようなことがここでも言えます。「みんなの思いが復興の力に。」と環境省は広域処理をプロモートしていますが、「復興」とは何をさすのでしょうか。「科学」「文化」という言葉で捕鯨が正当化された結果、鯨類科学は大きな停滞を強いられました。阪神淡路大震災の被災者がいまだ孤独死する現状で、被災者の生活再建が本当に最優先とされているのでしょうか。広域処理だけにとどまらず、政府の掲げる「復興」の中身が本当に個々の被災者の利益になっているのかは気になるところです。科学だけで決められないものを科学だけで判断しようとするのもまたBlinded by scienceというものでしょう。

 「科学」の名の下に官製ニセ科学がまかり通ったわけですが、「復興」の名の下に何が行われようとしているのか、注意深く検証する必要があるように思えます。

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