3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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抑圧と収奪のための「科学」

 サウンドサイエンスイデオロギーは市場原理主義に根本原因があるのではないかと書いた直後に少し変わったものを見て頭を抱え込んでしまいました。

 忘却からの帰還でサウンドサイエンスウォッチがされていますが、特にこの記事は概説として良く出来ています。基本的にはサウンドサイエンスは法規制をのがれるために大企業が繰り出してくるものというパターンが読み取れます。
Dr. S Fred Singer翁の、もうひとつの前哨戦"タバコ":忘却からの帰還
http://transact.seesaa.net/article/151724052.html

 捕鯨の話題をあさっているうちにたどり着いたのが水産資源学者の勝川俊雄さんでしたが、勝川さんがずっーと指摘し続けているのは日本の漁業全体の問題です。魚の獲り過ぎで数が少なくなり、十分成長していない個体にまで手を付ける悪循環は断ち切らなければならないし、それは可能なのだと。
漁業という日本の問題を知ろう 勝川俊雄さんインタビュー
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1609.html

 そして最近ウナギの資源枯渇が話題になりました。「私たち日本人はウナギは食い尽くしてもクジラは持続的に利用できます」という主張に説得力を感じる人はいないでしょう。
ウナギの絶滅と河口堰:beachmollusc ひむかのハマグリ
http://beachmollu.exblog.jp/17584454/
本気でウナギを食べ尽す気か(追記あり):Apes! Not Monkeys!
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120702/p1

 サウンドサイエンスは規制逃れに繰り出される科学っぽく見える屁理屈なのだから、資源枯渇の問題に企業が疑義を呈して問題をうやむやにしようとするなら、それは典型的なサウンドサイエンスです。手法も大体想像がつきます。「魚が捕れなくなったのは本当に個体数が減少したからか?」「漁獲量の減少は本当に乱獲のせいか?」という問いを設定し、人間の活動と無関係の環境変化などに責任をなすり付けるよう操作すればよいのです。実際、捕鯨で個体数が激減したにもかかわらず、関係者はクジラは永久無尽蔵でどこかに隠れているだけだと言ったことが「捕鯨問題の歴史社会学」で解説されています。今問題になっているウナギなら、回遊生態は未解明であるという不確実性につけ込んで、個体数の減少が確認されたわけではないとか、分布域が変化した可能性が高いとか言って、人間の影響を過小評価すればいいんじゃないでしょうか。

 しかし、水産大手は乱獲による資源枯渇の問題を否定する気はないようです(過剰漁獲やIUUは世界的な問題なので日本の水産会社に全く問題がないとは考えられないが、それでも下の記事は絶賛に値すると思う)。
「魚はどこに消えた?」 急がれる資源管理
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2067
漁業 「環境の変化」という魔法の呪文 ウナギ激減に無自覚な加害者・日本人
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2152

 それでは漁業分野で「サウンドサイエンス」を繰り出しているのは誰なのか?
「魚は減ってない!」出版記念講演会:よこやま信一公式ブログ
http://ameblo.jp/gagome-yokoyama/entry-11338205377.html
こんな内容らしい。「世界に誇れる日本の資源管理型漁業」ってホントっすか?
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=05_42588601/

 なんと国会議員でした。教科書通りのサウンドサイエンスのパターンなら政府は規制を課して産業界からジャンクサイエンスと罵られるものですが、はるかにまともな現状認識を持っている水産大手を尻目に国会議員と官僚がもっと魚を消費しろと煽る所に特徴があります(前掲のウェッジの記事も水産白書を批判している)。まぁ、マルハニチログループやニッスイといった大企業は世界中で原料の調達/加工/流通を行っているので、特定の場所で特定の魚種が規制されても柔軟に対応できる余裕はありそうですし、希代の愚策「魚の国のしあわせ」プロジェクトにはしっかり加わっているのですが。一方で活動場所が決まっている漁師にとって規制は直接的な死活問題になるかもしれません。そして想像通り、横山議員の支持団体は北海道の漁協団体であるとウィキペディアにあります。

 これは自然を直接相手にする農林水産分野の性質によるもので他の国でも同様にみられることなのか、あるいは日本特有の状況なのかは知りませんが、水産大手は全く無関心なのに官僚が熱心な捕鯨問題もこのパターンです(捕鯨問題はサウンドサイエンスというより疑似科学だろうと思う)。そもそも資本主義の精神を体現している大企業を欠いた形なのでサウンドサイエンスイデオロギーと呼べるかどうかが疑問です(消費を煽るだけの報道や小売業が、問題を全く無視するという究極秘奥義を使って市場原理主義を代行しているから水産大手はきれいごとを言っていられるとも考えられるが)。その辺を考えていて思い出したのは、クジラの禁猟期に科学調査の名目で捕鯨をやるという、国際捕鯨取締条約の悪用を始めたのはソ連だったということでした。水産庁が何となくソ連っぽいと私が感じたのも大ハズレではなさそう。
https://twitter.com/katukawa/status/245711675137867776

 しばし考えてみていま思うことなど。

 ニセ科学はどの時代にも現れるもので、サウンドサイエンスは高度なニセ科学の資本主義的形態なのだと思います。「獲り尽くし、食い尽くす」思想というのは現代では市場原理主義であると考えていますが、こうした抑圧と収奪は資本主義以前にもあったし、北朝鮮だって中国共産党だってスターリンだってやっていることです。今後社会がどう変化しても科学は政策決定に重要な役割を果たすはずですが、そうした中、抑圧と収奪を正当化するために使われるニセ科学の資本主義的一形態がサウンドサイエンスイデオロギーであると解釈すると、サウンドサイエンスと少し違うサウンドサイエンスっぽいもの(上であげた横山議員とかソ連のやったこととか)も、私の中では理解出来ます。科学が発達した世の中では、どの権力であれ自分を正当化する「科学的」理由を求めるものなのでしょう。

 サウンドサイエンスは科学の内部から現れたものではない(Ong and Glantz, 2001)のだから、タイトルは抑圧と収奪のための「ニセ科学」にするべきかもしれません。しかし、簡単に自分と無関係なニセ科学として切り離していいものかとも思うようになりました。

 抑圧と収奪を正当化するために科学が使われた例として、進化生物学を人種差別の根拠にしたり、遺伝学を優生学に利用したことが挙げられます。進化論も遺伝学も真っ当な科学ですが、科学とは別の価値観と融合して利用されたわけです。もし科学者が科学の議論のみに専念し人種差別や優生学に全く加担しなかったのなら科学無罪、科学者無罪のいいわけも通るかもしれませんが、例えば、木村資生の著書「生物進化を考える」で彼は優生思想を開陳しているわけです(それについての論評が「はじめての進化論」の中にある)。

他にはこういう例も。
「科学者」の語る優生思想:5号館のつぶやき
http://shinka3.exblog.jp/2111241/

 木村資生や江崎玲於奈ほどの科学者でも専門を少し外れてしまうとこうなのだから、権力や時代を支配する思想が抑圧と収奪のための「科学」を奨励し推進するのは容易いことのように思えます。サウンドサイエンス的な価値観は科学にがっちり食い込んでおり、直ちに分離可能とは思えません(丹念に検証すれば科学とそうでないものを分けられるかもしれないが、ホメオパシー問題ほど単純ではなかろう)。これはリテラシーの足りない誰かの問題でなく、自分自身の問題として考えた方がいいのではないかと(特に科学の関係者は)。レイチェル・カーソンのせいでマラリア蔓延というウソをついているのはサイエンスライターだけではありません。核物理学や分子生物学が歴とした科学であっても、原発や遺伝子組み換え作物の実際の運用には科学以外のものが入り込んで抑圧と収奪を正当化しているわけです。「(俺たちの都合のいいように)正しく恐れよ」「(俺たちの都合のいいように)リスクを比較せよ」とか。

 「健全な科学」は自然も人間も収奪の対象とするのです。
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砂糖玉の煙幕

きまぐれな日々:新自由主義は「専門性」を否定する反知性的イデオロギーだ
http://caprice.blog63.fc2.com/?tag=%C8%BF%C3%CE%C0%AD%BC%E7%B5%C1

 上の記事は市場原理主義こそがニセ科学の根源的なイデオロギーであると論じていますが、これはサウンドサイエンスイデオロギーもよく説明できるのではないかと思ったり。そういえば、地味な科学の読み物よりも健康などへのきらびやかな効果をうたうニセ科学の方が市場には受けがいいという話を、ネットのどこかで読んだことがあります。そしてサウンドサイエンスイデオロギーも営利目的に各専門家を動員してでっち上げた科学っぽく見える屁理屈である点で、やはり市場原理主義にその根本があるように思えます。

 サウンドサイエンスもニセ科学も、科学のようで科学でないものという点で同じですが、両者はどのような関係にあるのでしょうか。まず思いつく違いは、サウンドサイエンスの方が質量ともにニセ科学を上回ることです。ニセ科学は常識レベルの理科の知識があれば対処出来る問題ですが、サウンドサイエンスはその辺かなり巧妙です。ホメオパシーとかEM菌のように100%のウソに頼って商売しているわけではないのはニセ科学との重要な違いで、そこが後ろ盾となる業界の規模の違いに直結するのかもれません(すぐばれるウソに飛びつく人間は少ない)。そしてより大きな資金力のある業界は優秀な科学者/弁護士/広告屋をリクルート出来るため、科学の不確実性につけ込んで科学でないものを巧みに科学に見せかけられるのではないかと思います。ホメオパシーやEM菌はその技術自体がウソなわけですが、一方のサウンドサイエンスイデオロギーは商品などに予見されなかった副作用があることがわかってきたときに発動することが多いようです(例:フロンガス、水俣病、タバコ)。規制逃れのための屁理屈こそサウンドサイエンスの本性でしょう。両者の違いはウソの度合いであって、サウンドサイエンスもニセ科学も金儲け目的に事実をゆがめる点で、本質的には同じものではないかといまのところ思っています。

 ところで最近、私自身はタバコ産業をニセ科学ほど悪いと思っていないことが気になりました。思えば私は今の今まで、ニセ科学撲滅は訴えてもタバコ撲滅を訴えたことはありませんでした。

 ホメオパシーはニセ科学批判のメジャーな標的の一つですが、ホメオパシーよりも有害で比べ物にならないほど多くの犠牲者を出しているタバコ産業を私が攻撃しなかったのはなぜなのか?もし仮に現在ニセ科学の要素がなくても、かつてタバコ産業がサウンドサイエンスを繰り出して科学に干渉しようとしたことは、ニセ科学以上に許されないはずです(タバコ産業が使った「健全な科学」イデオロギーの問題は論文になる程度には認識されている:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-120.html 。さらにこんな話もhttp://www.nikkei-science.com/page/magazine/1104/201104_066.html)。ホメオパシーがらみで起きた死亡事故は因果関係も明らかなためホメオパシー産業を攻撃するのも容易い一方で、特定の個人については喫煙ー発ガンの因果関係の科学的立証が難しいため、タバコ産業をなんとなく免罪してしまうのかもしれません。認知心理学というのか、私のこのバイアスは心理学かなにかで説明できるのかもしれませんが。

 また、人間にはある程度の狂気や毒物や猥雑さといったものが必要であるというのが、タバコをそれほどに攻撃しない理由なのかもしれません。そしてタバコには資本主義より長い歴史があります。タバコを禁止すると言っても、それがナチス的な健全さであるならば実際非常に不健全なわけです。

 しかしもう一つの可能性もあります。タバコ産業のマスメディアを通した宣伝に生まれてから数十年さらされ続けているため、私が強力に洗脳されている可能性です(子供の頃このCMが好きだったhttp://www.youtube.com/watch?v=zY9kyByb4K8)。こちらで指摘されていますが、ホメオパシーの問題点をはっきり認識し批判出来るのは、それが私にとってなじみ薄いものだからというのもありそう。タバコを吸うことはかっこいいと刷り込まれた頭には、タバコ会社が毒物を販売し多くの人を死に追いやり科学をねじ曲げようとした撲滅すべき悪徳産業であることを知識として与えられてもなお、どこかでその現実が理解出来ないのではないかと。タバコ会社が人気俳優のスタローンを起用して喫煙に(病気ではなく)男らしさのイメージを持たせる宣伝を打ち出したことがMerchants of doubtに書かれています(スタローンがこの映画で口にくわえているのはマッチ)。この洗脳からなかなか抜け出せない状況は、今でもナントカ真理教の信者をやめない人と同じようなものです。

 ニセ科学とサウンドサイエンスはたぶん同根ではないかと書きましたが、ニセ科学はサウンドサイエンスの問題を覆い隠す煙幕として役に立っているように見えます。

 サウンドサイエンスから見れば、ホメオパシーなど明らかなニセ科学の存在は歓迎すべきことです。自分たちとは無関係の小さなニセ科学産業が騒ぎを起こして集中砲火を浴びている傍らで、圧倒的な宣伝力を背景に科学を装っていればサウンドサイエンスへの検証をかわすことができるのですから。ホメオパシーやEM菌さえ叩いていれば、世間はその人が科学リテラシーのある人と思ってくれます。あるいはシーシェパードが間違っていることを示せば調査捕鯨の正当性が証明されると考えるようなものか。イージーモードのニセ科学だけに注目がいってしまうのは、プレイヤー全員がボールに群がってしまう子供たちのへたくそなサ○カーと同じ状況です。

ゲバラの演説

 ああツーリング行きてぇと思っても生活が変わるとなかなか思うように行かないものです。そもそもいまバイクがありません。代償行為としてバイクの出てくる本を漁っていたところ、ゲバラの「モーターサイクル・ダイアリーズ」が出てきました。巻末にゲバラの演説が収録されていますがいま読むとまた違った輝きを感じます。

今日われわれが実践すべきことは連帯なのだ。「ほら、来ましたよ。慈善を施すために来てあげましたよ。学問を教え、あなた方の間違いや教養のなさや基礎知識のなさを直してあげるために来たのですよ」などという態度で、人民に接するべきではない。人民という、巨大な知恵の泉から学ぶために、研究心と謙虚な態度をもって、向かうべきなのだ。
 慣れ親しんできた考え方がいかに間違っていたか、気づかされることがよくある。そういう考え方はわれわれの一部になってしまっていて、自動的に、われわれの知識の中に組み込まれてしまっている。自分の考え方をがらりと変えなければならないこともよくある。社会観や人生観といった全般的な考え方だけではなくて、時には医学的な概念までも変えなければならないことすらある。病気が必ずしも、病院や大都市で問題となる種類のものだけではないのだということを知るだろう。


漫然と思ったことその1
 自動車の便利さと危険性を原発のそれと比べる話を見かけたことがありますが、なにか違和感を感じました。バイクを含む自動車は大変便利なものですが、運転する際は、免許の取得と携帯、保険への加入が義務づけられています。交通事故の加害者となってしまった場合、刑事責任や賠償が課されるわけですが、一方、原発事故で誰か刑事罰を受けるのか?被害者は補償されるのか?原発は保険にかけられるのか(「沈黙の艦隊」の原潜みたいに)?原発を運用してきた責任のある側に誠意が感じられないから心証が悪くなるのでしょう。ところで上でゲバラが言っていることもまさに欠如モデル批判です。

漫然と思ったことその2
上の演説の中の「医学的な概念までも変えなければならない」という所はずっとよくわからなかったのですが、いま少し理解出来た気がします。

科学は政治に左右されず中立であるべきという意見はちょくちょく見かけます。

科学の中立性を損なう不当な政治介入の例も科学史に詳しい人ならいくつも挙げられるでしょう。しかし、研究は常に政治と無関係に事実を追求してきたかと問えば、たぶん科学史家の大半は否と答えるでしょう。科学が完全に中立であるなら地動説が裁判沙汰になることなどなかったはずです。

 宇宙開発は政治が科学研究を刺激した例です。東西冷戦華やかなりし頃、両陣営の科学者の一部はロケット研究に没頭しておりました。敵に負けないミサイル技術のために、宇宙開発競争のために、政府が国家予算をつぎ込み、航空宇宙工学が爆発的に発展したわけです。この分野を専攻したイデオローグにはピンはフレデリック・シンガーからキリはかの中川八洋までいます。この時期に本当に政治的中立を保とうとする学生や科学者なら、航空宇宙工学など志すべきではありませんでした(?)。もし当時の研究者が「我々は何のために研究しているのか?我々の研究は誰を最も利するのか?」という問いを発したならば、京大の小出さんみたいな扱いを受けたでしょう。理系に統一教会と手を組んでしまうほどの反共主義者が多いとすれば、この時期の影響もあるのではなかろうかと。



 誰にも注目されないまま地道に研究を続けてものすごい発見をする人もいるでしょうが、最近の研究は大型予算とチームワークが主流ですから、社会的要請(=政治的要請)と科学的発見はいっそう密接になっていくはずです。難病研究やスパコンに予算がつくのもそういうことです。

 要するに、発見された事実は科学的に価値中立であっても、その発見にいたる研究の道は常に極めて政治的なものということです。研究というのは芸術同様の人間的行為であり、決して事実を発見する機械としての科学者が単調に作動しているのではないということをグールドが述べています。社会や時代が科学の問いの内容や質を規定するということでしょう。

 まだやってきてもいない妖怪の心配よりも、現在世界を支配する資本主義、わけても影響をふるう市場原理主義とやらが科学にどう影響しているかを検証するほうが重要に思えます。まぁなんというか、自分が中立だと思い込んでいる間は自分を中立に見せかけることもできんでしょうな。

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