3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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捕鯨と原発についての雑感

 少し前の事ですが、レイキャビクでホエールウォッチング船を見学しました(クジラを見たのではなく、港に泊まっている船の中に入っただけ)。船の中の展示から読み取れたのは、ホエールウォッチングは首都近辺に限られる一方で、捕鯨はアイスランドの周りでまんべんなく行われているということでした(カメラを無くしたので写真なし)。観光客の集まりやすい首都だとウォッチングへの鞍替えも容易かもしれませんが、田舎の漁村になるとそう簡単に行かないということでしょうか。小さな国の都市と地方の格差なのかもしれません。格差といえば、日本ではイルカ猟で有名な太地に原発誘致の話があったことがレポートされています。

捕鯨の町の未来のために  ~捕鯨産業に蹂躙された町、鮎川~ より抜粋

 もうひとつ思ったことは、この地域捕鯨の問題には、都市の身勝手さや資本
の論理というものも、非常に深刻な影を落としているということである。
 史上最大の迷惑施設のひとつである原子力発電所が、過去に捕鯨基地であり、
現在過疎化に苦しんでいるところを狙い撃ちするように計画・建設されている
ことからも、それは伺われる。牡鹿町の隣の女川町には東北電力女川原子力発
電所が稼動しており(*1)、牡鹿町にもリアルタイムで放射能モニタリングの結
果を町民に知らせる設備がある。同様に、過去に捕鯨基地であった和歌山県太
地にも原子力発電所の計画があり、太地の人々は勇敢にその計画に抵抗し続け
ている(このレポートを読むかもしれない太地の方々へ。わたしは、こと捕鯨
問題に関してはみなさんとは異なる意見を持っていますが、あなたがたの原発
に反対する闘いを高く評価しており、心強く思っています。太地のみなさんの
原子力発電所建設計画への闘いが、願わくば、勝利に終わりますように(*2))。
 ある地方の文化を尊重し、維持したいと本気で思っている人々がその地方に
原子力発電所を建設しようとしたりするだろうか。日本という国は、あるいは
日本の捕鯨を継続したいと主張する人々は、本気で鮎川などの地方を尊重し、
その地方の文化や生活を守りたいと、ほんとうに思っているのだろうか?


 私は、改訂管理方式の通用しないハクジラ猟は直ちに中止すべきと考えています。伊豆のイルカ猟の歴史は示唆的です。19世紀後半には伊豆半島の18の漁村でイルカ猟が行われていましたが、20世紀初頭には8村、食糧の需要が最もあった第二次大戦後でも5村、1960年に3村と減少しました。そして残った3つも、安良里(1973)、川奈(1983)、富戸(2004)とそれぞれ猟は中断しています。これについて鯨類学者の粕谷俊雄氏は、イルカが減少する中、より積極的にイルカ猟を行った村が最後まで残ったという解釈を示しています。

Japanese Whaling and Other Cetacean Fisheries
Kasuya, Env Sci Pollut Res 14: 39-48 (2007)

 太地のイルカ猟は伊豆から伝えられ1970年代に始まったものですが、ハクジラ猟の安全な管理方式がない以上、たどる道は伊豆と同じでしょう。

 捕鯨の不透明性は大きな問題です。隣国の韓国の混獲も深刻ですが、2001年に混獲クジラの流通が合法化されたとたんに混獲数が4倍に増える日本も救いがありません(Lukoschek et al., 2009 下表参照)。「たとえ違法な鯨肉であっても日本人は食いたがる」と解釈するのが普通でしょうな。そしてこの中には絶滅すら危惧されるミンククジラJ系群が相当に含まれています(J系群については「解体新書捕鯨論争」参照)。
by-catch
The rise of commercial ‘by-catch whaling’ in Japan and Korea
Lukoschek et al., Animal Conservation 12: 398-399 (2009)

 IWC管理下の鯨種でもこうなのだから、管理外の沿岸小型捕鯨についても推して知るべしというものです。事実、粕谷氏は2008年の第2回PEW鯨類シンポジウムで沿岸捕鯨の管理体制や統計データの不完全性を指摘しています。そしてWDCSの「人間の需要に駆り立てられるイルカたち」は富戸のイルカ猟の規制違反について報告しています。反対派が監視してようやく違反が明るみに出るという事であり、これはイルカ猟の自律性のなさを示しています。このように監視と抗議は必要ですが、しかしながらアイスランドで見たものを思い出す度、それだけで解決するとも思えないのです。

 「捕鯨問題の歴史社会学」に詳述されていますが、公海捕鯨はむろん、沿岸捕鯨も単純に日本の伝統とはいえず、日本の近代化という文脈の中で理解されるべきものです。現代社会の中で資本の論理により、仕事の無い田舎に原発が立てられたりしているのですから、それを止めさせた上で地元の生活を成り立たせるためには、小手先の改革では不十分なのではないかと。どうすれば良いのか私には皆目見当がつきませんが、おそらく全社会の構造を変えることが必要なのでしょう。捕鯨や原発への反対運動の一部にときたますっきり納得出来ない何かを感じる理由はこの辺にあるのかもしれません。しかし、それで生計を立てている人がいるから、とデモデモダッテしているうちに、資源は壊滅し放射能は漏れるのです。
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