3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

たぶんまたダマされる人の「科学」談義

 私はわりとダマされやすい人間のような気がします。もちろん、イージーモード(常識的知識があれば対処出来る)の創造論やホメオパシーなんかにはダマされませんが、ノーマルモード(本などの解説はあるがやや専門的なトピック)やハードモード(現在進行中の問題で誰も答えを知らない)になると頼りない限りです。このブログもずっと捕鯨問題にフォーカスしていましたが、振り返ってみれば最初は私も日本に流布する通俗的捕鯨観を信じており、捕鯨に反対しているのは一部のエキセントリックな外人だけと思っていました。調査捕鯨の科学的意義に疑問を持った後も、捕鯨文化論はまだしばらく信じていました。その後ようやく、文化論も広告会社によって作られた歴史という事を理解しました。(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-96.html

 平行して私はレイチェルカーソンの「沈黙の春」は間違っていたという話を信じていましたが、これもまたダマされていたようです(オレスケスらの「Merchants of doubt」で解説されているのでノーマルモード)。どうにもおさまりが悪いので、私が「沈黙の春」に懐疑を抱くきっかけとなった記事をもう一度見直してみます。

「沈黙の春」の検証が進まない不思議な国ニッポン
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/

 内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)の危険性をいち早く訴えたと世間では評価が高い「奪われし未来」(原題:Our Stolen Future)が出版されて、今年で10周年だという。わざわざ“世間では”と書いたのは、米国の科学者団体が最近出したこの10年の総括が、痛烈な内容だったからだ。同様に、40年以上前の名著 「沈黙の春」(Sirent Spring)もこの数年、欧米では批判の的。ところが、日本ではそんな見直し論はさっぱり紹介されない。議論のないヘンな国、ニッポン……。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 最初にこう書かれると、まるで「沈黙の春」に対する批判が一般的であり、それに同調しないものは非科学的で「ヘンな」人であるかのように思ってしまいます。なにしろライターは農業関係に造詣の深い人ですから。「欧米では批判の的」。もしそうなら科学誌にも記事があるはずですが、そんなに批判されてるかな?今の時点で検索すると、アグリ話よりも後に出てきたもので、WHOがマラリア対策にDDTの使用を決めたことを報じている記事が目につきます。WHOの決定はカーソンへの批判をうけてのものでしょうか?

DDT is back: let us spray!
Weissman, The FASEB Journal 20:2427-2429 (2006)
http://www.fasebj.org/content/20/14/2427

 「沈黙の春」が最も多くの人を殺した本であるとする新聞記事を冒頭に引用して、WHOがマラリア対策のDDT散布にゴーサインを出したことを歓迎する一方で、レイチェル・カーソンは正しかったし、もし彼女が生きていればWHOの決定を積極的に支持しただろうとも述べています。また、チフスを例に、こうした病気は所得や教育といった社会的要因が大きく影響するとも。

Health agency backs use of DDT against malaria
Mandavilli, Nature 443: 250-251 (2006)
ネイチャーのニュース記事にはレイチェル・カーソンへの批判は特に書かれていません。WHOがDDTを再び使用すると決めたことと「沈黙の春」にどういう関係があるのでしょうか。

 これを受けて、米国がEPA(環境保護庁)を設立するなど各国は農薬への規制を強化し、DDTなども使用禁止となった。しかし、欧米の研究者やメディアの間では最近、「どうも違うよ」ということになっているのだ。大きな理由は、次の二つである。(1)DDTの評価が誤っている(2)農薬など化学物質が、それほど生物に蓄積していない
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 また欧米か。

(1)DDTの評価の誤り 「沈黙の春」出版後、各国はDDTを禁止した。その結果、何が起きたか?発展途上国でマラリア感染が爆発的に増えてしまった。例えば、スリランカではDDT使用開始以前は年間280万人もの患者がいたのに対してDDTが使われていた1963年には患者は110人にまで減少した。しかし、使用禁止後の68年には再び100万人もの患者が発生し、現在も患者は年間200万人を超えるという。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 「沈黙の春が世に出てからDDTは規制された」「スリランカではDDT使用中止の後、マラリアが急増した」この二つは事実ですが、ここから直ちに沈黙の春のせいでスリランカのマラリアが増えたと結論できるでしょうか。こう言うと論理学みたいですが、私は現実のものごとが論理学的にどうこうというよりも、事実の捉え方や、事実と事実の関連が大事と思っています。スリランカのマラリア流行が「沈黙の春」の影響を受けてのことかどうかはすでに論じられていました。カーソンとは無関係という見方です。

マラリアとDDTとWHO
http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/27558673.html

 WHO(世界保健機構)によれば、マラリアにかかる患者は世界で年間3億人。そして、100万人以上が死亡しその多くが体力のない子どもだ。マラリアを媒介する蚊にもっとも効くのがDDT。ほかの農薬は、蚊が耐性を獲得しやすく、すぐに効き目が薄れるのだという。また、WHOなどは蚊帳を使うように呼びかけているが、蚊帳になじみのない国も多くなかなか普及しない。そのため、発展途上国の一部では現在も、DDTがマラリアを防ぐ「特効薬」として使われ続けている。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 農薬として大量に使用されたDDTは耐性蚊を1950年代には生み出していました。その後も耐性蚊の報告は続きます。最近のでは、室内散布だけでも蚊がDDT耐性を獲得するのではないかという議論すらあるようです。

Multiple Insecticide Resistance: An Impediment to Insecticide-Based Malaria Vector Control Program.
Yewhalaw et al. PLoS ONE 6(1): e16066. (2011)

 また、DDTの室内散布の効果を充分なものにするためには住民の理解と適切な行動が欠かせません。こうなると蚊帳を奨励する努力と大して変わらないのではないでしょうか。DDTさえ撒けばマラリアを防げるという単純な話ではないはずです。

 一方で、英国の医学誌「The Lancet」は05年8月27日付けでDDTに関する総説を掲載した(ウェブサイトで登録すれば、無料で論文を読める)。ヒトへの発がん性を示す確たる証拠がないこと、神経系や内分泌系への影響も実験結果がさまざまで、はっきりしたことがまだ言えないことなどを書いている。つまり、「『沈黙の春』は、真実ではない恐怖を煽ってDDTを禁止させ、大勢の子どもの命をマラリアで失わせたのではないか」という批判が、浮上しているのだ。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 確かにRoganらによるランセットの総説は健康への影響を断言していません(参考:http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-116.html)が、DDTが有害という報告と、そうでないという報告が混在している現状を鑑みれば、健康被害の可能性はあるのだからDDT散布は健康調査とセットで慎重に扱うべきという話です。都合のいい所だけ切り出した直後に、「沈黙の春」のせいで大勢の子どもがマラリアにかかって死んで行ったのではないか、と言われるとまるでランセットの総説が沈黙の春を批判しているように見えます。

 英国の新聞「Gurdian」で、関連記事が読める。このほかのメディアも取り上げており、私が見た中には「Rachel Carsonの生態学的大虐殺」という見出しの記事まであった。
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 わざわざ扇情的な見出しを紹介し、間接的にレイチェル・カーソンを攻撃する手法です。今起きている原発事故の報道に対する姿勢とは正反対です。

 一番肝心なのはレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を発表したこと、DDTが禁止された事と、マラリアの蔓延に直接の関係があるのか?ということです。マスコミの扇情的な報道に流されてはいけません。公衆衛生や社会学の専門家は何と言っているのか?「沈黙の春」が多くのマラリア患者の死の引き金というのが事実なら、科学と政策決定を論じる上で非常に重要な事例となります。

 前掲のブログで論じられているとおり、DDTの使用停止には時期や場所ごとの理由があり、これらを全て「沈黙の春」のせいに単純化することは出来ません。イタリアなどでマラリアを撲滅出来たのは社会の豊かさがDDTの効果を十全たらしめたからで、薬剤散布だけではマラリア根絶には不十分です。DDTの効果を引き出すためにはそれなりのインフラが必要なのです。Roganらによるランセットの総説でも、貧困こそがサハラ以南の乳幼児死亡の主たる原因であり、DDTが唯一無二の解決策ではない事が指摘されています。オレスケスらの「Merchants of doubt」によれば、サハラ以南のDDT散布は効果がなかったために1969年に中止されています。ちなみに米国でDDTが禁止されたのは1972年です。

(2)農薬など化学物質は、それほど生物に蓄積していない 昨年、CDC(米疾病管理センター)が、米国民の尿や血液から検出された148化学物質をリストにして発表した。99-2000年の調査結果で、DDTをはじめとする農薬は、検出されないか検出されても微量。多かったのは鉛とコチニン(ニコチンの代謝物)だった。もちろんこれは、「沈黙の春」などの警告に基づき、化学物質管理が進んだ結果でもある。ただ、「沈黙の春」が、化学物質を排出したり分解したりする生物の機能を軽視し過ぎたことは否めない。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 「生物に蓄積していない」といいつつ、挙げるのは人間のデータだけですか。この記事が発表された2006年の段階でも、野生動物を対象にした調査で、海獣類ではそれほど減少していないという報告を見つけられます(一方で鳥のDDT蓄積量が減っているという報告も確かにある)。PCBやDDTの蓄積を懸念する報告が複数ある以上、「農薬など化学物質は、それほど生物に蓄積していない」というのは楽観的すぎるのではないでしょうか。アグリ話発表以降のものもいくつか見てみましたが、一部ではまだ注意が必要なようです。

Contamination status of persistent organochlorines in human breast milk from Japan: Recent levels and temporal trend
Kunisue et al., Chemosphere 64: 1601-1608 (2006)
福岡で行われた調査では1998-2004年の間で母乳中のDDTなどの量は減っておらず、おそらく魚介を通じて継続的にこれらの化学物質が取り込まれているのだろう、と。また母乳を介して、特に第一子にこうした化合物が蓄積するとも。

DDT strikes back: Galapagos sea lions face increasing health risks
Alava et al., AMBIO 40: 425-430 (2011)
こちらの方は査読を経たものではありませんが、海洋生態系の上位に位置する海獣類が海洋汚染の指標となること、こうした海獣類の研究が、環境保護活動などの関係者に科学的助言を行えることを論じています。日本から大量の放射能が海に流れ出している最中ですが、有機化合物と放射能の違いはあれ、環境中に放出された汚染物質が生態系の中でどういう挙動をとるか、興味深いところです。

 英国の学術誌「Outlooks on Pest Management」05年12月号も、「毒性のある化合物の負荷について、摂取と排出の動態的なプロセスではなく、生命の終焉のように印象づけた」と「沈黙の春」を批判している。
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Outlooks on Pest Managementの論文はこれですね。

Reviewing some origins of pesticide perceptions
Krieger, Outlooks on Pest Management 16: 244-248 (2005)

Google scholarによる被引用件数は2012年4月の時点でも3で、お世辞にも多くはありません。マニアック過ぎます。5頁の論文の中で挙げられているリファレンスはたったの14。Krieger論文には「DDT」と「Rachel Carson」の段落が設けられていますが、カーソンのどこが間違っていたのか、具体的な研究との比較はありません。それに肝心の「Silent spring」が参考文献の中に入っていません。これが本当に「沈黙の春」批判の体裁をなしているのでしょうか?まるで学術誌が特集を組んで「沈黙の春」を批判したかのような印象を受けましたが、実際にはKriegerの単なる個人的信念の表明にしかみえません。こっちの方がカーソン攻撃の体裁は整っています。

DDT: A case study in scientific fraud
Edwards, Journal of American Physicians and Surgeons 9 : 83-88 (2004)

ただ、上のようなものを見つけるのは結構苦労します。たぶん、現在のマラリア対策をまじめに論じたら「沈黙の春」に言及する必然性がないからでしょう。

 問題なのは、そうした批判がさっぱり聞かれない日本の状況だ。欧米でこんなに批判が巻き起こっているというのに、日本ではメディアがそのことを紹介しない。相変わらず環境問題のバイブル扱いで、農薬は悪と思い込んでいる人が多い。わずかに、日本の専門紙「新農林技術新聞」が今年5月5日号で、「沈黙の春に疑問符 農薬などへの評価新展開」として前述のCDCリポートや学術誌を紹介している。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 また欧米か。これで何度目?日本で修正主義に与するものがあまりいないというのは喜ばしい事です。

 『踊る「食の安全」~農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)を上梓したので、関心のある方は手に取っていただきたい。多岐にわたる内容で、素朴に、でも深く、農薬の真の姿に迫ったつもりだ。今回紹介した「沈黙の春」批判も書いた。どれほどよいものでも、批判と議論が起きないのは不健全だ。微力ながら一石を投じたいと願った。
http://www.foocom.net/fs/aguri/668/


 真っ当な批判ならともかく、不当にゆがめられた事実に基づく攻撃に何の健全性もありません。

 自分が読んで信じた記事は、要するに、一部の意見が主流であるかのように見せかけ、自分の主張の根拠に本来使えない資料さえ根拠として使い、都合の悪い事実は無視して、不当にゆがめられた事実をもとに定説を攻撃するという、修正主義テクニックの見本みたいなものでした。「レイチェル・カーソンは「沈黙の春」を書いて農薬の毒性を訴えた」という程度の知識しかない私に、あれこれもっともらしい話をちりばめて「沈黙の春」への疑いを抱かせる。まさに歴史修正主義の手口です。

 カーソンへの攻撃は「俺たちの活動を規制すると人が死ぬぞ」という化学業界のこけ脅しです。マラリア根絶よりも、カーソンへの攻撃が最優先事項だからこそ、rachelwaswrong.orgというドメインを臆面もなく使うのでしょう。「DDTの適切な使用はマラリア防止にある程度有効」というマイルドな言い方では彼らは満足できないのです。なぜなら「沈黙の春」のせいで多くの子ども達が死んだという事にしないと、「環境保護のために産業活動を規制すると人が死ぬ」という考えを社会に浸透させられないからです。「原発を止めると弱者が死ぬ」という話とまるっきり同じです。DDTに一定の効果はあるものの決してマラリアの特効薬ではないのと同様、原発さえ動かしていれば弱者を救えるということはありません。(というか原発が稼働していた時の日本てそんなに弱者に優しかったの?)

 歴史修正主義者が自国至上主義の信念を持っているのと同様に、カーソンを攻撃する科学者もある信仰に基づいて行動しています。その信仰とはたぶん、科学技術の発展が人間の生活を豊かにしてきたという科学技術直線進歩史観です。旧き迷妄の神々を討ち滅ぼした科学と理性の神に彼らは仕えているのでしょう。あるいは共産主義の悪魔を倒した自由主義経済の神なのかもしれません。彼らは現代の社会が持続可能なものではないという事実をウソという事にしたいから、酸性雨や気候変動に懐疑を呈し、環境保護論者を軽蔑するのです。グールドによれば、進化論を根拠に人種差別を推進したのは社会主義者と社会民主主義者であったそうですが、進歩的な考え方が妙な方向に行く点はよく似ています。

彼らは彼らの理論を、人間の現実に基づいた理性的で科学的な社会を実現するための先兵と考えていた 
スティーブン・グールド著「ダーウィン以来」より


 うっかりダマされないために何をするべきだったかといえば、地道に話の裏を取る位しか思いつきません。あるいは、懐疑の対象となっているものを自分が本当に知っているのか自問してみるか(私は「沈黙の春」を読んだこともなければDDT使用中止の背景も知らなかった)。知識が中途半端だと、まんまと術中にはまるのでしょう。進化論攻撃や歴史修正主義は、出所がそもそも専門家でないので相手の足もとを見ればいいだけですが、サウンドサイエンスはそれなりの専門家が出所なので、専門家への信頼が裏目に出ることもありそうです。誰だってダマされたくもなければ間違いもしたくはありませんが、今後も心もとない限りです。ここでみたのは、大部分は科学的に正しいことを言う人が、たまに自分の信仰に無自覚なまま垂れ流してしまう非科学的なことを、受け取る側が科学的事実と思ってしまう例かもしれません。

マラリアと「沈黙の春」についてさらに詳しくはこちらへ
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-131.html 【“たぶんまたダマされる人の「科学」談義”の続きを読む】
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歴史修正主義批判と疑似科学批判

こないだ貸したパプリカのDVD見ました?

おうよ。最近よ、この台詞がお気に入りよ。

科学のマインド?笑わせないでよ!
人のマインドも持ち合わせないマッドサイエンティストのくせに!
自分の夢だけ飲み込んで自尊心だけふくれあがったオタクの王様ならそうやって機械に囲まれていつまでもマスターベーションにふけってなさい!

映画「パプリカ」より



ところで科学といえば、歴史修正主義と疑似科学ってなんか似てますね、兄貴。

そうだな。一番良く似てんのは、南京大虐殺否定論と創造論か。南京大虐殺を否定する歴史学者はいねーし、いちゃもんつけてんのは専門の学者じゃねーわな。言いがかりのネタは出尽くしてるし、歴史学者によって悉く論破されていやがるのに議論は堂々巡りだ。本職の研究者は事件の背景をしてて、「あったかなかったか」なんて議論はしてねー。クソッタレめ。

それとおんなじように、進化学者は進化の仕組みを研究していて、進化論否定の連中はそもそも進化生物学を理解してねーっすね。それと、どうして歴史修正主義や疑似科学をほっとかないのかっつーところも同じような感じっすね。

うむ。日本にはびこる邪悪な歴史修正主義は戦争犯罪や植民地支配、人権抑圧に関わるもので、差別と強く結びついてやがる。ありもしない過去をでっち上げて戦争を賛美するのは、民主主義社会への害毒だ。

進化は生き物の本質の一つで、決して生物学の一分野だけの考えじゃねーっす。進化をわかることで、俺たちは命や自然の見方を変えてきたわけっす。ちゃんと自然を理解しなきゃ、今の環境問題の解決も望めないっす。魚とり過ぎの問題をクジラのせいにして、環境保護の問題をはぐらかすために食文化論をでっち上げた日本に、ウナギ、マグロ、サメの資源保護問題で適切な行動がとれるとは考えられねーっす。このままじゃ日本の食文化は次世代で相当なツケを払う事になっちまいます。深刻な問題に結びつく可能性がある事は、正しておくべきっすね。

オメーはいっつもその話ばっかだな。まー人にはそれぞれ得意分野っつーのがあるからな。ところで、歴史修正主義と疑似科学は似た所ばかりだと思うか?俺はなんか少し違う所があるような気がするのよ。まーそもそも日本の歴史修正主義は、近現代の黒歴史をなかった事にしたいという動機が丸見えで、奴らの攻撃の対象は戦争犯罪に関するものがほとんどなわけだな。で、南京、従軍慰安婦、沖縄というふうに標的が選ばれてきたワケだ。次あたり原爆か水俣病がまたターゲットになるんじゃねーかな。

兄貴のオートレース予想はよくあたりますもんね。それはそうと、科学の論争は、よーく見りゃ一方が修正主義ってこともありますが、そうでなく本当に科学的に決着がついてない場合もありますね。そこの違いを見極めるのはホント、難しいっす。懐疑論の出所は業績ある科学者だったりしますし、「なぜそのような問いをするのか」っつー背景を考えても、「純粋に」科学的なことを問題にしているように見ちゃいますからね。

科学を装った修正主義のトリックを暴きやすいのは実際の研究をやるヤツより、科学史家みたいな、科学活動を端から眺められるヤツらなんじゃないか?

あー、そういうことはあるかも。外交史や国際法の観点から捕鯨問題をみていた人たちの方が日本の生物学者の平均よりも問題の本質をわかってましたもんね。あと、疑似科学とは関係なく、科学的な結論がはっきりしないまま決断を求められる時もあるっす。

その手の問題は社会全体に影響するからな。それに対応するのはオメーみてぇな自然科学系の科学者だけじゃ力不足だ。オメーがどうかは知らねーが、科学者っつーのが無能なんじゃなくてな、メンバー全員がリードギターつーバンドが存在しないのと同じ事だ。それこそ科学技術社会論が求められる理由つーもんよ。現在進行形の問題は、典型的ニセ科学とはタチが違うからな、ホメオパシーを華麗に論破するようにはいかんだろうな。

兄貴、俺もNHKで華麗にニセ科学を論破してみてえっす。

バーロースットコドッコイ!テレビで受けるのは菊池誠みたいなイケメンだけだ。オメーの面じゃテレビなんて無理な話よ。話を戻すがな、俺はニセ科学批判っつーのが重要な話題をきちんと押さえてんのかどうかが気になんのよ。歴史修正主義批判はそもそも、修正主義の攻撃から歴史の事実を守るのが目的だからよ、必然的に重要トピックは押さえることになっちまうと思うのよ。

地球温暖化懐疑論なんか、俺専門外なんでよく知らねっす。知らねー事には口を開かない方がいいっすよ。

まーそーだがな。でも科学に詳しいっつーなら、論文を調べてみりゃ、地球温暖化懐疑論にきちんとした根拠なんかない事くらい分るだろ。そいでよ、懐疑論者とかニセ科学批判とかを自称するサイトをいくつか見たけどよ、ホメオパシー批判なんかはまだいい方で、それ以外に好んで取り上げてんのがUFOとか雪男とかの娯楽ネタという有様よ。オメー、俺が源義経=ジンギスカン説や明智光秀=千利休説を歴史修正主義批判として取り上げたらどう思うよ。

下らねーことしてるなって思います。

娯楽としての珍説奇説を真面目に取り上げんのは修正主義批判とはいわねーだろ。UFOやネッシーなんて本気で信じてるヤツがどれだけいるっつーんだ、チキショーめ。

それにしてもホメオパシー批判は流行り過ぎな気がしますね。猫も杓子もホメオパシーさえ叩いとけば科学者気取りっつーか。もっと色んなネタを発掘してみて欲しいっす。

ホメオパシーなんかはそんな大騒ぎする問題じゃねーと思うのよ、俺は。聖書ん中で神と悪魔が殺した人数を比べた話はオメーも知ってるだろ?

あーアレっすか。

考えてみたんだがな、現代医療とホメオパシーで死人を比べても同じようなもんが作れるだろ。

薬害エイズとか薬害肝炎とか色々ありましたもんね。でも俺は現代医療を否定したりはしませんよ。

あたりめーだ。ただな、多くの人間がたよる分、妥当な科学的判断に基づいていたとしても、何か間違いがありゃ現代医療の方が被害がでかくなるのは当然でよ。つまり本職の多くは「神による死者」を問題としてるわけよ。で、より精度や効果の高い技術や薬品開発だとか、意思決定と合意形成のための社会科学の研究なんかやって「神による死者」を減らすために努力してるわけだろ。

そういわれると、俺、悪い気はしねーっす。

俺はよ、悪魔のホメオパシーによる被害者を減らす事に意味がないとは言わねー。だがよ、ホメオパシーは公認の医療でもなんでもねーんだから、全体の中では悪魔退治はアクマでも補助的なものよ。そこんとこの重要度を勘違いして「悪魔による死者を減らすために努力する自分」を「神の使い」と思いこんでるスットコドッコイが混ざってる気がすんのよ。

神による死者が問題だというのに。

マーつまりだ、自然科学系のニセ科学批判のマトがあんまりにもショボイ気がするわけよ、俺は。オメーはどう思ってんだ?

オレスケスが取り上げたのは、酸性雨、オゾンホール、地球温暖化、タバコ、「沈黙の春」っすか。こうして見ると、マジヤバい御用ニセ科学がつけ込むのは環境とか健康に関することが多いみたいっすね。そうすると遺伝子組み替え作物とか来ますかね?あとやっぱ俺、原発についてもっと勉強しておけば良かったと後悔してるっす。

だからそういうのに果敢に挑んできた硬派がどれだけいんのよ?飴をなめながら宇宙人や雪男と水遊びをするのがせいぜいだった理科オタク共が突然、20mSv/yの被曝を受容しろとか、汚染地の野菜を食えとか、他人様に指図するもんだからよ、俺、驚いて立ちゴケしちまったよ。クソっタレめ。

懐疑論と修正主義





 修正主義は懐疑論の装いをとるため、懐疑論と修正主義は紙一重なところがあります。新発見が旧来の迷信を打ち破り、新発明が生活を豊かにしてきたという直線的発展史観は、専門家から見ればアナクロな迷信のようですが、私のような門外漢はやはりそうした輝ける科学の歴史の幻想を抱いてしまいます。一般的に人は目新しい話に目がないものなのでしょう。新事実の発見による定説の否定という、受けのいいストーリー展開を利用するのが修正主義の手口です。(参考:http://d.hatena.ne.jp/rna/20080104/p1

 ニセ科学批判を趣味や職業とする人間の中に歴史修正主義者がいるのは私もうすうす気になっていました(参考:http://d.hatena.ne.jp/toroop/20090601/p3)。歴史修正主義はレイシズムと分ちがたく結びついています。自然科学分野のニセ科学を批判する程度の事ならレイシストの理科オタクでも出来る、ということでしょうか。ホメオパシーなどを批判するのには専門的な科学の知識は要りませんし。ところが、それなりの専門家や強力な学問的権威と結びついた疑似科学はそれと見破るのが困難になります。政府やメディアがちょっと偏ると、ニセ科学批判を趣味とする人間が疑似科学の片棒を担ぐようになります(参考:捕鯨問題に見るエア御用)。

 他にはこんな話があります。

「沈黙の春」の検証が進まない不思議な国ニッポン | FOOCOM.NET
www.foocom.net/fs/aguri/668/

 上の記事を最初に読んだ時、私はそんなものか(カーソンは間違っていた)と思いました。ところが、オレスケスとコンウェイの「Merchants of doubt」は、カーソンへの攻撃を修正主義と断じています。(書評 http://d.hatena.ne.jp/kenjiito/20120109/p1 公式サイト http://www.merchantsofdoubt.org/

 一方で、英国の医学誌「The Lancet」は05年8月27日付けでDDTに関する総説を掲載した(ウェブサイトで登録すれば、無料で論文を読める)。ヒトへの発がん性を示す確たる証拠がないこと、神経系や内分泌系への影響も実験結果がさまざまで、はっきりしたことがまだ言えないことなどを書いている。つまり、「『沈黙の春』は、真実ではない恐怖を煽ってDDTを禁止させ、大勢の子どもの命をマラリアで失わせたのではないか」という批判が、浮上しているのだ。
www.foocom.net/fs/aguri/668/


 FOOCOMの記事をざっと読むと、ランセットの論文もDDTの毒性に疑問を投げかけている、というように解釈出来ます。2005年8月27日付のランセット誌はVol 366 No 9487で、この中でDDTを論じているのはRogan and Chen: 763-773 です。奇しくも、オレスケスらも同じ論文を参照していますが、上で引用した記事とは随分違ったことが書かれています。

A recent review in the Lancet - the world's leading medical journal - concluded that when used at levels required for mosquito control, DDT causes significant human impacts, particularly on reproductive health. (This is not surprising, given that some of the earliest evidence against DDT was that it interfered with reproduction in birds and rats.) Abundant scientific evidence reveals DDT's impact on child development, including preterm birth, low birth weight, and possible birth defects. High concentrations of DDT in breast milk are correlated with shortened duration of lactation and early weaning - itself highly correlated with infant and childhood mortality. The Lancet authors conclude that any saving of lives from malaria might well be abrogated by infant and early childhood mortality caused by DDT (58). Some lives might have been saved by continued used of DDT, but others would have been lost.
(58はRogan and Chenの総説)
Oreskes and Conway, Merchants of doubt, Bloomsbury 2010


 ではもとの論文は何を言っているのか?アブストと最終章を抜粋します。
Health risks and benefits of bis(4-chlorophenyl)-1,1,1-trichloroethane (DDT)
Rogan and Chen, Lancet 366: 763-773 (2005)

Abstract
DDT (bis[4-chlorophenyl]-1,1,1-trichloroethane) is a persistent insecticide that was used worldwide from the mid-1940s until its ban in the USA and other countries in the 1970s. When a global ban on DDT was proposed in 2001, several countries in sub-Saharan Africa claimed that DDT was still needed as a cheap and effective means for vector control. Although DDT is generally not toxic to human beings and was banned mainly for ecological reasons, subsequent research has shown that exposure to DDT at amounts that would be needed in malaria control might cause preterm birth and early weaning, abrogating the benefit of reducing infant mortality from malaria. Historically, DDT has had mixed success in Africa; only the countries that are able to find and devote substantial resources towards malaria control have made major advances. DDT might be useful in controlling malaria, but the evidence of its adverse effects on human health needs appropriate research on whether it achieves a favourable balance of risk versus benefit.


Future perspectives
DDT was originally banned because of ecological effects, such as eggshell thinning, and accumulation in the environment and organisms, including human beings. Although acute toxic effects are scarce, toxicological evidence shows endocrine-disrupting properties; human data also indicate possible disruption in semen quality, menstruation, gestational length, and duration of lactation. The research focus on human reproduction and development seems to be appropriate. DDT could be an effective public-health intervention that is cheap, longlasting, and effective. However, various toxic-effects that would be difficult to detect without specific study might exist and could result in substantial morbidity or mortality. Responsible use of DDT should include research programmes that would detect the most plausible forms of toxic effects as well as the documentation of benefits attributable specifically to DDT. Although this viewpoint amounts to a platitude if applied to malaria research in Africa, the research question here could be sufficiently focused and compelling, so that governments and funding agencies recognise the need to include research on all infant mortality when DDT is to be used.


 論文の内容を大雑把に言うなら、マラリア防止にDDTは効果的かもしれないが、DDTさえ撒けばいいというものではないし(他にも有効な対策は複数ある)、予防の効果を打ち消すレベルの健康被害をDDTがおこす可能性はあるので散布をするのであれば健康調査とセットで慎重にやるべき、ということでしょう。オレスケスらの要約はやや強引な気がしますが(Rogan and ChenはDDTによる健康被害については断言していない)、よりひどいのは修正主義者の方です。この論文から、カーソンのせいで多くの子供が死んだ可能性を論じられるとは考えられません。実際、FOOCOMの記事で持ち上げられているThe American Council on Science and Healthの科学者は(DDTの有効性を支持する文献を一切挙げずに)この論文を攻撃しています(Lancet 366: 1771-1772 (2005))。そもそもDDTが禁止された理由は(人間でなく)生態系への影響であり、「人間へ影響する証拠がないからDDTを規制するのは間違っている」という意見は悪しき人間中心主義というものでしょう。人間の生活が生態系に依存していることを無視できるのはSFの中だけです。また、DDTが、ほかの薬剤や蚊帳よりもマラリア防御に効果的というデータは存在していないことをRoganらは指摘しています。

 「懐疑の商人」第7章では、DDTの使用と伝染病予防に必ずしも関連がない事、害虫が耐性を迅速に獲得したためDDTの効果も次第に薄れつつあったことなどを指摘し、カーソンへの攻撃のトリックを暴いて行きます。さらに、カーソンへの攻撃を行う修正主義の背景として、「DDT禁止が伝染病を蔓延させたこと」を口実に、その他の化学物質への規制撤廃を目論む産業界の経済的動機を指摘しています。また、オーウェルを引き合いに、過去を支配するものは現在も支配するので、権力は歴史を支配したがるとも(確かに、「日本は捕鯨の優等生」というありもしない過去を効果的に宣伝出来たことは、捕鯨サークルが現在の国内世論を支配出来ている理由の一つだ)。歴史をひもとけば、人間は時代や所属する集団に固有の偏見から逃れられないことがわかりますが、現代の人間が持つ偏見の多くは資本主義社会に生まれ育ったことに起因していると考えられます。

 産業界の利益を代表した修正主義はカネの絡む利害関係がわかりやすいものですが、それでもなお私が最初にFOOCOMの記事を見てから背景を理解するのに数年かかりました(オレスケスが本を書かなければ永久に知らなかったかも)。自分がよく知らない議論について、双方の言い分を良く聞き、専門家の意見を尊重するのは常識的な判断だと思いますが、そこにつけ込まれたわけです(例えば捕鯨問題の鯨研 vs. 民間団体グリーンピースという構図だと、専門家に近いと思う方に説得力を感じてしまうだろう。トーダイのエラいキョージュがプッシュしていたゲンパツがどれだけデタラメなシロモノだったかは今分り始めたところだが)。私は「沈黙の春」に関する議論にずっと集中していたわけではありませんが、だからこそ余計に時間がかかりました。自分が懐疑論と修正主義を見分ける力をつけるにはどうすれば良いのか、実に悩みどころです。出来るのは、懐疑を表明しているのが本当にその問題を論じる資質を持った専門家なのか吟味してみる位でしょうか。The American Council on Science and Healthというのがどういう団体なのか調べてみる価値はありそうです。査読を経た論文だけに情報源をしぼれば知識の正確さは増すでしょうが(実際そうしていれば捕鯨問題でも、この「沈黙の春」論争でも、より短時間で適切な見解にたどり着けたと思う)、仕事に関係ない論文を読むのは大変なので、それだけでは現実に対応出来ない気がします。

 懐疑論と修正主義の見分け方をいま思案中。

差別の背景

 仮の話ですが、沖縄の米軍基地で事故が起きて沖縄が(福島みたいに)汚染されたとしましょう(参考:http://d.hatena.ne.jp/o-kojo2/20120221)。この事故をもって沖縄の人を汚物扱いする人間に比べれば、沖縄の産物を「買って支援」「食べて応援」しようという人の方がはるかにましなのかもしれません。ただ、私がそもそもの問題と思う点は、米軍基地が沖縄に押し付けられ、人びとの生活が基地に依存させられてきたという背景です。これこそが最も問われるべき差別ではないのか。そしてまた、過疎地に原発を押し付けるのも同様のことではないかと思うのです。現代科学技術の結晶たる原発のケツを拭いていたのが野宿労働者というのは笑う所でしょうか。

 今現在起きている福島差別もひどいようですが、差別者に放射能についての知識が欠落しているのは間違いないようです(自分はネットの伝聞しか知りませんが)。ただ、正しい知識さえ補えば問題の根本解決になるか?と問うなら答えは否でしょう。なぜなら、米軍基地押し付けも、原発押しつけも、国の政策上行われたことであり、一般人の知識の欠如にその根本原因を求める事は出来ないからです。正しい知識が普及しようが、差別を支える制度が変わらなければ差別は存在し続けます。こう考えるなら、福島差別は原発事故以前から潜在的にあったということになります。

 ハンセン病患者への差別について下のような議論と解説がありますが、「馬鹿共のした事」で片付けようとするのはまさに一種の欠如モデル的思考であり、それが科学技術社会論で批判されて来たのでははないかと思います。
http://togetter.com/li/278644
 他の差別の例でも、現代の部落差別を単に江戸時代の名残で説明出来るのかと問うている研究者もいます。差別者個々人以上に、差別を再生産し固定化する社会構造の問題を認識しなければいけないようです。この辺、確かに「文系」の人の方が得意なのかもしれませんが、「理系」であることはこうした人文系の学知を無視する事の免罪符にはなりません。

 差別に対抗するためには欠如モデルしかないのではないか、とこの間書きました。しかし、自然科学にとどまらない幅広い知見の集積(これは金の力に勝てるのはより大きな金の力と言っているようなものだが)と、積極的に政策を監視し参加するという民主主義社会なら当たり前の活動こそが欠如モデルの欠点を補いうるものではないかと今は思っています(これが公共的関与、対話モデルというものなのか)。個人の持つ知識の質と量にのみ注意がいってしまい、差別主義者が連綿と生み出される背景を問う事を見落としたのはうかつでした。

 制度化された差別を覆すのはかなり大変な事です。人種差別に抗ったキング牧師にも逮捕歴がありますが、今の日本で市民運動に逮捕者が出た場合、おめでたい人たちがどのような反応をするかはだいたい見当がつきます。秩序こそ正義の自称中立には何も期待出来ません。キング牧師は敵の言葉よりも善人の沈黙をより問題視していたようで、次のような言葉を残しているとか。

Injustice anywhere is a threat to justice everywhere.

The hottest place in Hell is reserved for those who remain neutral in times of great moral conflict.

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