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ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

欠如モデルの人

 科学技術の理解や社会的受容について、欠如モデルと対話モデルという二つの説明があります。ある種の科学技術が社会一般に支持されないのは大衆の知識の欠如が原因であり、正確な知識を啓蒙することで「真実」は受け入れられるというのが欠如モデルですが、科学技術社会論ではこの欠如モデルの不完全性が認識され、代わりに対話モデルが提唱されています。一方的に理解を求める統治スタイルは、とりわけ科学的に未知の事柄には適さないため、双方向的対話と一般人の政策への参加が重視されるようになったとものの本には書いてあります。

 欠如モデルの不完全さは、科学技術社会論に限ったことではありません。橋下徹にしろ石原慎太郎にしろ、その正しさで支持されているわけではありませんが、彼らに批判的な側は結果として敗北してきたわけです。レーニンはその革命理論の中で宣伝と煽動の重要さを強調していますが、なるほど、彼は実際の人間社会というものを良く理解していたのです。他に欠如モデルで説明できないものといえばレイシズムや歴史修正主義です。グールドも人種差別主義者を論破することは出来ないと述べていますし、事実、歴史修正主義者相手の議論も延々とループしています。人類学の知識が欠如しているから人種差別主義者になるのでもなければ、歴史の知識の欠如が歴史修正主義の根源というわけでもないのです。

 科学技術の社会的応用についての合意形成には不充分な欠如モデルですが、捕鯨問題に関して私自身はまさにこの欠如モデルで動いていることに気がつきました。すなわち「日本は捕鯨再開のために科学的な主張をしている」という根拠をgoogle scholar、pubmed、scopusを駆使して探し求めたところ、そんなものは見つからないどころか調査捕鯨がボコボコに叩かれているのがわかったため、私は日本の捕鯨に対する考えを変えました。捕鯨について自分がどう思うかというのにはもともと興味はなく、専門家は何を議論しているのだろうという好奇心から論文をあさったのですが、専門家の議論というのはいつでも素人の想像を超えたもののようです。

 欠如モデルで動く私にとっては、査読を経た科学論文など確実性の高い資料ほどありがたい一方で、クジラを食料と見なすべきか友達とするべきかというような形而上学的議論には何の興味もないわけです。そんなわけでちょっと各団体のパンフレットを比較してみました。

WDCS http://www.wdcs.org/
 ● 「人間の需要に駆り立てられるイルカたち」 
 ● 47頁に183の注釈。学術文献、資料が豊富。

IFAW http://www.ifaw.net/
 ● 「クジラと漁業」 
 ● 12頁の中に22の参考文献 学術論文が多い。

IKAN http://homepage1.nifty.com/IKAN/
 ● 「小型沿岸捕鯨の現状」 
 ● 全7頁 18の参考資料 見やすい。

 ● 「日本沿岸の希少種ミンククジラその混獲の実態」 
 ● 鯨研のデータを元にJ系群が危機的状況にある事をあぶり出す。

 ● 「クジラが魚を食べ尽くす?? なわけがない!!!!」 
 ● 鯨食害論への基本的な反論。

GP http://www.greenpeace.org/japan/ja/
 ● 「クジラと捕鯨についてあなたはどれくらい知っていますか?」 
 ● 見やすい。

ICR http://www.icrwhale.org/
 ● 「クジラの調査はなぜやるの?」 
 ● 全11頁 図表は豊富だが学術文献なし。

 ● 「南極海鯨類捕獲調査(JARPA) 第2版(英語版)04-b-len2.pdf」
 ● 全58頁 多少は見やすいが、pdfの作り方は雑。相変わらず参考文献はない。大学生の卒業論文でももうちょっと気合い入ってるぞ。ところでザトウーナガスークロミンク間の競合が説かれているが、エア御用お気に入りのクロミンクーシロナガス競合説はどこへ行ったのだろうか。

 ぶっちぎりはWDCS、続いてIFAW。これらは参考文献が豊富で、これらの団体の主張の確かさを調べようとする人にも手がかりになります。健闘しているのがIKANで、多分小さな団体だと思いますが、公的資料と独自調査を交えた丁寧な出来です。対する鯨研は学術研究を行っている団体とは思えないくらいのレベルです。私が気になったのは、SSCSと双璧をなす反捕鯨団体と一般に認識されているGPの貧弱さです。人気アニメ「ドラえもん」では既出の道具を使えば簡単に解決できることに新奇の道具を投入してわざわざ苦労する事がよくありますが、GPのパンフレットを見ていると、このドラえもんを見ている時に感じる苛立ちと似たような感覚を覚えます。巨大国際NGOであるGPが本気を出せば、私がちょこちょこ書いてきたものを軽く超える資料集が作れるはずです。わざわざ鯨研と同レベルで勝負する理由がわかりません。ドラえもんじゃあるまいし。

 このGPの「やる気のなさ」は一体なんなのか?実はGPなりの考えがあるのでしょうか?

 歴史修正主義やレイシズムの根源が知識の欠如でないように、捕鯨問題についての議論も知識の欠如では説明できないものがあります。例えば自称カガクに詳しいエア御用がこの問題についてだけ全く論文を参照しないのは何故なのか?私は前述の通り欠如モデルで動いているので、日本の捕鯨の何が批判されているのかという知識が普及すれば問題解決に寄与するはずと考えていましたが、そうならない所を見ると、やはり捕鯨問題は歴史修正主義などと同様の側面を持つと思われます。レイシスト共の歴史修正主義に対して欠如モデルは決して有効な策ではありません。が、かといって対話モデルはさらに不適切でしょう。一般的な科学技術社会論と違い、レイシストの主張に耳を傾け相手の言い分を受け入れる余地はありません。不寛容に対する寛容はあり得ないのです。

 こう考えてみると、グリーンピースは欠如モデルでは捕鯨問題を解決出来ないと考え、わざと精密な資料の提示をせずに議論を展開しているのかもしれません。それではどういう戦略をとっているのかは、私には想像出来ません。星川氏の著書「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」では、それほどクジラを食べたい訳でもないのになぜここまでもめ事を起こすのかというようなことが問われていますが、その辺から攻めて行くつもりなのかもしれません。しかし、GPが沿岸捕鯨に寛容な姿勢を示すなどしていても、問題解決に効果をあげているようには見えません。

 多くの実例が示す通り、疑似科学や歴史修正主義を論破する事は出来ません。同様に、疑似科学と歴史修正主義の複合体である捕鯨問題も解決しない可能性が高いでしょう。学術論文の蓄積を一切無視し、一部の反捕鯨活動をもって捕鯨反対の本質を人種差別と説くのが可能であるというなら、捕鯨に賛成する人間の傾向から捕鯨賛成の本質をレイシズムと歴史修正主義と説明することも同様に可能です(mixiの画像参照)。欠如モデルは完全でないとはいえ、結局この手の問題に対しては欠如モデルに代わるものはないのではないかと思います。ちょうどチャーチルが民主主義を評したように。
mixi-hogeisansei
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