3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

捕鯨問題にみるエア御用

 エア御用という目新しい言葉に興味を持って以来、ずっと考えてきたが、何となく結論が見えてきた。

 本家たる原発御用学者wikiのエア御用のリストや評論は自分にはよく理解できない。大元は2ちゃんねるで、多様な考えを持つ人たちが好き放題に書き込んでいるのだから、矛盾する記述があって理解しづらいのは当たり前だが、個人を集団で吊るし上げるのは文化大革命とかポルポトを見ているようで具合が悪くなる。「メルトダウンしない」とか「メルトダウンの定義」云々は批判されて当然だが、御用学者wikiの個人攻撃はやり過ぎ。全く問題の無い発言まで槍玉に挙げるのは衆愚というものだろう。

 原発問題でのエア御用認定はかなり曖昧だが、自分がつぶさに見てきた捕鯨問題には明白にエア御用がいる。エア御用を吊るし上げるのが目的ではないのと、具体例を示して論じると長くなったので後ろの付録1に記した。

 エア御用は、利害を持つわけでもないのに学を曲げてお上におもねるものだ。日本の行っている調査捕鯨は、科学の条件を満たしているかどうかという前提すら疑われているもので、調査成果である論文についての外部の評価を見れば素人に弁護できるものでないことは明白だ(付録2参照)。しかしエア御用はこの問題に限って科学の作法を平気で無視し、選択的無知や選択的懐疑を振り回す。

 エア御用が生まれてくる原因は、強力な宣伝能力を持つ政府がコミットする問題についての批判的検証を怠ったことにあるだろう。要するに知的怠惰が原因であるが、個人の政治的傾向によって選択的無知や懐疑が使い分けられることもあるだろう(私はエア無政府主義者なのでもともと政府には辛口である)。御用学者wikiでピックアップされている書き込みが結構いいセンいってるんじゃないか。

852 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/05/31(火) 12:25:39.45 ID:7DTFonRh0
寄生というか、何も批判せず、何も主張しないのが現実主義だ、というのが反左翼世代の唯一の信念なので逆に、権威を批判している奴等だけは、批判の対象にしていい、ということになる


764 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 01:17:47.70 ID:ZWxItahh0 [3/9]
いわゆる「厳密派」は、何かを判断するさいに、つねに過度な科学的厳密性を適用するのでは<なく>、むしろ、自分が信じたくないものだけに、都合よく科学的厳密性を適用するところに特徴がある。

ある対象に科学的厳密性を適用するということ自体は、それを単独に切り出せば、間違いとはならないので、本人には、その問題性は見えない。

そういう人間が、自分の信じたくない情報が「デマ」であるということを「断言」するさいには、科学的厳密性はしばしば適用されない。


 御用空気の蔓延は科学を腐敗させるものだ。ソ連のルイセンコ事件や韓国の幹細胞捏造事件は有名だが、日本の捕鯨や旧石器捏造も同じパターンとみた。私は捕鯨について「汗顔の至り」と言ったが、火山学者の早川由起夫氏は旧石器捏造事件について「科学者として内心忸怩たるものがある」とコメントしている。旧石器捏造事件も、捕鯨問題と同様に官僚が関わっている(文化庁と水産庁の違いはあるけれど)。そして、初期の段階から旧石器発見に異を唱える専門家がいたにもかかわらず、そうした指摘は無視された。捕鯨に対する批判もかなり昔からあったが、それらが顧みられる事はほとんどなかった。原発についても、実際に事故が起きるまで反対派の意見がどう扱われていたかは万人の知るところである。

 産業の実態を欠く捕鯨問題ですら大本営発表に煽られるエア御用がいるのだから、捕鯨サークルより遥かに大きな規模の原子力村が関わる原発問題にもエア御用はいるだろう(ここを読んでもそう思った)。捕鯨のエア御用は科学の作法から逸脱しているからわかりやすいが、原発事故の議論は科学の作法に則ったものが多いので、エア御用を定義しづらい。きっちり定義することに意味があるかどうかもあやしいが。

 それでは、捕鯨や原発でエア御用をとくに批判する必要があるのだろうか?そのようには思えない。最も重点を置いて批判的に検証するべきは大本営たる政府や真性の御用学者の言説であり、エア御用は大本営発表のおまけみたいなものだ。私が捕鯨問題を通して学んだのは、圧倒的な決定権と宣伝力を持つ権力に対して厳しい見方をしなければ「中立的な」判断など出来ないということだ。「エア御用」を探し出しては吊るし上げる魔女裁判めいた事は問題の理解や意見形成に役立たない。原発御用学者wikiには魔女裁判に加わらないものは魔女という傾向すら見えるが、こういうのにはついていけない。反原発ならすべて正しいというわけではない。

 ニセ科学批判クラスタとエア御用が重なるように見えても、多分それは錯覚だろう。もともと日本にはお上に異を唱える人間を「プロ市民」と嘲笑する風潮があった。だからニセ科学批判クラスタ=エア御用に見えても、それは御用空気の中に自称科学に詳しい人たちが含まれていただけの事に過ぎない。捕鯨問題は日本国内で、鯨研を擁する水産庁(お上)vs.グリーンピース(「プロ市民」)の図式で語られてきたし、原発議論にも似た形式があった。科学コミュニケーションというのか、一般向けマスメディアと異なる専門家の視点を提供できる情報発信は貴重かもしれない。しかし、調査捕鯨や鯨食害論などの大本営発表を批判してきたのは、ニセ科学批判に積極的にコミットしてきた人間でもサイエンスコミュニケータでもない、多様なバックグラウンドを持つ人たちであったことを考えるなら、ニセ科学批判や科学コミュニケーションに何の意義を見いだせるだろうか。ニセ科学批判が科学に新知見をもたらす可能性はかなり低いので、「水からのナントカ」を弄る水遊びをいくらやっても科学のセンスなど身に付かないのだろう。生み出されるのはオリジナルの劣化コピーばかりなり。

 結論:エア御用はいるが、斬る価値はない。

「物知り顔の愛好家は芸術の最悪の敵である」 ニコラ・ド・スタール

「またつまらぬものを斬ってしまった」 十三代目石川五ェ門




付録1 エア御用の実例
大本営発表

2050年には世界の人口が90億人を超えることが予測されている人類にとって、地球の4分の3を占める広大な海の有用生物資源を持続的に活用していくことは、食料確保の意味でも極めて重要な課題といえます。

クジラも貴重な食料資源のひとつであり、多くの国で今もクジラが食料として利用されています。

また、クジラは陸上の動物と同じく、海の中の生態系の一部を構成しており、クジラだけが極端に増えすぎれば、生態系のバランスを崩すことになってしまいます。

このようなことから、将来にわたってクジラを食料として持続的に利用していくための調査として調査捕鯨は行われています。

なお、国際捕鯨取締条約では、IWC加盟国の政府は科学研究のために捕獲調査を行うことを許可する権利を持っていることを定めています。また、調査によって得られた鯨肉などの副産物は無駄なく有効利用しなければならないことも定められています。

<略>

鯨類の生態調査においては、日本は世界の最高水準にあると認められており、IWC(国際捕鯨委員会)の科学委員会も、日本の取り組みが着実に成果を上げていることを高く評価しています。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0806/spe1_05.html


 「クジラは貴重な食糧で、クジラが増えすぎれば生態系が乱れる調査捕鯨は合法であり、日本の鯨類学は世界の最高峰にある」という要約で良いだろう。そしてこれらの主張は相当に根拠が薄いことは何度も言ってきた。

 以下エア御用を見て行く。

<その1>
クジラ保護のためには捕鯨が必要?
http://blackshadow.seesaa.net/article/1367312.html

 ミンクーシロナガス競合説は査読を通るほどの確たる論文もなければ専門家間の合意もない(参考)。「牛丼屋の客は牛丼を奪い合っている、なぜなら彼らの胃の中から牛丼が共通して出てくるから」という程度のものというのが専門家間の評価だと思うが、日本の科学に詳しい人たちの間では随分人気があるようだ。ウイルス進化論みたいなものか。
 
 コメント欄の"ブログ「玄洋日誌」筆頭者の水産大国"というのも味わい深い。戸籍の筆頭者という言い方はあるが、ブログの「筆頭者」ってなんだろうな。水産大国というブログはブロークンな日本語を楽しむところと理解しているが、少しだけみてみようか。

反捕鯨論者を狂わす石井敦監修のIWC 科学委員会公式文の悪質誤訳論文
http://suisantaikoku.cocolog-nifty.com/genyounissi/2008/11/iwc-c41a.html

 私のコメントは一点だけ。substantial を「大幅な」と訳すのになんの問題も無い。手元のウィズダム英和辞典には「大幅の」という訳があるし、シソーラスなどでsubstantialの概念を理解していればそもそもこんなケチ付けをする発想など起るはずも無い。

 それ以外については、なにしろブログの「筆頭者」の書く事なので日本語がよく理解出来ない。

<その2>

ちょっと前のニュースですが、オーストラリアの環境相が日本の子供向けにyoutubeで捕鯨反対のプロモーションをやっているみたいです。
http://www.youtube.com/watch?v=dGsWgeAsYOQ

私は捕鯨推進派でもないし反対派でもないんですが、知識や判断能力が未発達な子供をターゲットにして、ある一方の政治的立場を宣伝する行為には薄気味悪いものを感じます。それを政府でやってしまうオーストラリアにはちょっと引きますね。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23973403&comm_id=1881633
110-01


 「知識や判断能力が未発達な子供をターゲットにして、ある一方の政治的立場を宣伝する」オーストラリア政府に引くという割に、日本国内で御用団体が子供相手に流布する鯨食害論には薄気味悪い物も感じずに完全スルーするバランス感覚が芸術的だ。

しかし、可能性としては昔が増えすぎで適正という可能性だってありますよね。どうしてその可能性が否定できるのか、教えてください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16900936&comm_id=1881633
110-mixi2.png


 この人はバカのふりをしてるのか?色々クジラに関する論文を眺めてきたが、人間の乱獲による個体数の減少を憂慮しているのはあっても、過去の個体数が多すぎたという意見は見た事がない。2007年当時に入手可能な資料だとこんなところか。

Whales Before Whaling in the North Atlantic
Roman et al., Science 301: 508- (2003)

Modelling the past and future of whales and whaling
Baker and Clapham, Trends in Ecology and Evolution 19: 365- (2004)

クジラの減少はクジラだけの問題ではない。例えばクジラの死体を栄養源とする深海生物群への影響。

Bigger is Better: The Role of Whales as Detritus in Marine Ecosystems
Smith
http://www.soest.hawaii.edu/oceanography/faculty/csmith/Files/Smith-%20Bigger%20is%20Better.pdf
この本(Whales, Whaling, and Ocean Ecosystems)は2007年には出版されているようだ。

他にも環境中の物質循環への影響が論じられている。

The Impact of Whaling on the Ocean Carbon Cycle: Why Bigger Was Better
Pershinget al., PLoS One 5(8): e12444 (2010)

いやいや、その捏造が事実なら非難されて当然だし、日本にペナルティがあってしかるべきだと思いますよ。
だから、その情報が真実であることを示す根拠が欲しいのです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16900936&comm_id=1881633
110-mixi3.png


 自分で確かめてくれ、といわれているのだが、自分じゃ調べないんだね。裁判官かなんかだろうか。そういえば南京大虐殺否定派のテンプレ展開は(1)ソースを要求する、(2)情報源に文句を付けるというものだ。選択的無知という奴だろう。日本の意図的「混獲」については2009年に出た論文で概観できるが、

High proportion of protected minke whales sold on Japanese markets due to illegal, unreported or unregulated exploitation
Lukoschek et al., Animal Conservation 12: 385- (2009)

The rise of commercial ‘by-catch whaling’ in Japan and Korea
Lukoschek et al., Animal Conservation 12: 398- (2009)

2007年以前の論文からでも察しはつくはずだ。

Which whales are hunted? A molecular genetic approach to monitoring whaling
Baker and Palumbi, Science 265: 1538- (1994)

Predicted decline of protected whales based on molecular genetic monitoring of Japanese and Korean markets
Baker et al., Proc R Soc Lond B 267: 1191- (2000)

<その3>

NATROM はてな
環境問題から考えて「積極的にクジラを食べるべし」という論法も成立すると思うんだ。肉を食べないのが一番環境にいいけど、肉を食うために森を牧草地にするぐらいなら、持続可能な範囲内でクジラを食べればいい。 2008/01/22
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20080120/p1


主な食肉の年間生産量(世界全体)
牛肉 55000000トン
豚肉 100000000トン
鶏肉 80000000トン
鯨肉で見込める年間生産量は地球全体で、クロミンクx2000+ミンクx1000で概算して10000トンくらいか。どうがんばっても5万トンには達しないだろう。

 杯の水で牛車の火を消すってこういう事を言うんだな。狩猟採集から農耕牧畜生活への移行が人類の歴史に与えた影響は義務教育で習うと思う。狩猟が畜産を減らせるほど効果的なら、コストをかけて家畜を飼育する理由も減るだろう。いや、これは人類史上最大級の大発見だが、日本の漁業管理が世界に自慢出来るほど持続可能なのかははなはだ疑わしい。そもそもApemanさんが議題にしているのは、なぜ日本の捕鯨が強く非難されるのかである。多くの科学者が充分な理由を持って調査捕鯨を非難している事(付録2参照)は、日本の科学好きの人間にはなぜか無視される。

<その4>

微修正 ・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ [日本版]:原発、クジラ問題、南京大虐殺
https://twitter.com/#!/kumikokatase/status/119647218243350528</p>

私、原発を推進してきた学者でもないし、捕鯨問題に関わってきた学者でもないし、南京大虐殺の調査に関係してきた学者でもありません。学者と一括りにして、私が無責任と言われましても…。ただ静かに研究室の片隅で実験生物の相手をしながら地道に生命の仕組みの研究をしてきただけですよ。
https://twitter.com/#!/kumikokatase/status/120507061263015936


 紛糾する事柄に沈黙するための言い訳だろうか。ニセ科学批判は水遊び自慢と見つけたり。偶然だが、私も実験室の片隅で生命の仕組みを研究してきた。矜持の違いか、私は捕鯨問題で自分が大本営発表に懐疑的でなかった事を悔やんでいる。鯨肉横領を告発したグリーンピースの人が逮捕された翌日には、日本で捕鯨に明確に反対する団体がグリーンピースなどのNGOしかなかった事を恥じた。バズビー基金が裁判を起こすとかいう話をみたが、訴えられるかもしれない人たちのリストを見ると、バズビー基金のハエ共がたかるのに相(以下略)。

<その5>

ほぼ日刊イトイ新聞ー敢えて、生命倫理について。
【科学の裾野が拡がってほしいんです】

たとえば、アメリカでの
捕鯨反対運動にしても、あそこに、
科学的な話しあいはまったくなかったです。
だけど、なし崩し的な感情的な意見によって、
現に、捕鯨という文化は壊されてしまいました。
http://www.1101.com/2003_NEWYEAR/030102_science/ethics.html


 捕鯨規制の歴史は『解体新書「捕鯨論争」(第2章 捕鯨問題の国際政治史)』で概説されているが、どのような読み方をしても上のような要約は出来ない。学問の基本は先行研究を理解し、現在の問題点を明らかにし、それらを解明する事だ。私は捕鯨問題の概要をつかむため、専門家によって書かれた文書に目を通した上で、自分の理解した事を書き散らしている(読解ミスにあとで気がつく事も多々あるが)。俗論のコピペが科学の裾野の広がりなのであれば、科学の裾野が拡がる必要など全くない。

 捕鯨の科学は前掲の『解体新書「捕鯨論争」』でも論じられているが、どの科学者が書いても内容は同じようなものになるだろう。しかし、その部分を書いたのが日本人学者でなかったというのが御用空気の存在の証左である。御用学問が蔓延れば、科学者個人がどんなに優秀でも集団としては無能となる。ルイセンコ事件がいい例だ。

<その6 番外編> 
自称科学に詳しい人が論じる「科学的に正しい」南京大虐殺

歴史は基本的に一回性のものであるから科学のように再現性を基とした実証が困難であり、また往々にして資料に乏しいため真贋の判別は容易でない。たった50年前のことですら合意がないというのはよくあることである(例:南京大虐殺)。
http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20071128/1196234450


 低レベルな否定論と専門家の見解を不適切に対比して「合意がない」と主張するのは進化論否定でもみられる常套句だ。

<その7 2012年11月28日 追加>


調査捕鯨の主体はIWC加盟国で、IWC科学委は勧告は出しても中止とかの強制は出来ないんだが。調査捕鯨の頭数がIWCで決定されるってどこの世界の話だ。



付録2 捕鯨をめぐる科学者の議論

PREDATION AND COMPETITION: THE IMPACT OF FISHERIES ON MARINE-MAMMAL POPULATIONS OVER THE NEXT ONE HUNDRED YEARS
DeMaster et al., Journal of Mammalogy 82: 641-651 (2001)
上は、将来、海獣が人類にとってより重要なタンパク源になると議論している。しかし、この論文にまで目を通すくらい捕鯨の事を調べているのであれば、次の議論は絶対に見逃さないはずだ。第三者的な鯨類学者で調査目的の大量捕鯨の科学的正当性を説明出来る人間がいるのだろうか。

AN OPEN LETTER TO THE GOVERNMENT OF JAPAN ON “SCIENTIFIC WHALING”
Briand et al., The New York Times (20 May 2002)

JAPAN'S SENIOR WHALE SCIENTIST RESPONDS TO NEW YORK TIMES ADVERTISEMENT
Osumi, The Institute of Cetacean Research (2002)

Scientists versus Whaling; Science, Advocacy, and Errors of Judgement
Aron et al., BioScience 52: 1137- (2002)

Whaling as science
Clapham et al., BioScience 53: 210- (2003)

Japan's whaling plan under scrutiny
Gales et al., Nature 435: 883- (2005)

Answering the critics of Japanese whale research
Hatanaka, Nature 436: 912 (2005)

Killing whales for science?
Morell, Science 316: 532- (2007)
スポンサーサイト

俺のRI取り扱い日記

 私が放射性同位体(RI)を使って実験していた頃の話です。私が主に使っていたのはP-32(DNAをラベルするのに使用。半減期は2週間でβ線を出す)。2重扉で外部と隔離されたRI取り扱い区域では飲食禁止。ピペット等の実験器具もRI実験専用のものがおいてあり、外部との物の移動は最小限にとどめられています。作業中は専用白衣とフィルムバッジ着用。放射線を遮蔽するために、透明アクリル板が使われていました。入出の際の汚染チェックと入出記録は義務です。

 自分のRI取り扱い経験からいえば、放射能汚染の可能性がある物は外部に持ち出さないのが基本です。伝聞ですが、小さな事故が実験室内でおきたことがあります。RIでラベルされた溶液が床にこぼれた程度のものですが、しばらくは半畳ほどのスペースが立ち入り禁止区域になっていました。こうした事故の際の行動の基本は、自分は外に出ず、内線を使って外の人に応援を求め、汚染の拡大を防ぐことです。幸い、私はこの事故とは無関係でしたが、ベンチが汚れている(放射線が検出される)と管理者から除染を命じられます。

 チェルノブイリの事故ですら、その全容はまだ分かっていません。動物への影響は、ようやく鳥類への影響が報告され始めた所です。チェルノブイリの鳥類研究のレビュー(pdf)がありますが、これが指摘する通り、福島第一原発から海洋へ流出した放射能が生態系にどういう影響を与えるかは、今後、相当な期間と労力をかけた調査が必要になるでしょう。

 最後に。RI取り扱いに際して講習を受けますが、放射線防護の基本は線源から距離をおく事と適切な遮蔽と学びました。実験室ではニコニコしていろ、などと言われた記憶はありません。

紛糾するエア御用

・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ:原発、クジラ問題、南京大虐殺
http://twitter.com/#!/kumikokatase/status/119645296681693184


 上のツイートについて思う事を何日かかけて思うところを書いていたところ、すでにApemanさんがきっちりと〆ていました。

公権力と研究者との関係が問われている文脈において、こうした責任を無視するかのような発言は看過することができない。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20111002/p1

 南京大虐殺否定論のような歴史修正主義は日本の歴史学者もそろって否定していると思いますが、対して日本の生物学者が捕鯨問題を正しく解説できるかどうか、不遜ながら極めて心もとないものがあります。

 ナショナリズムが絡むと議論は過熱し、歴史修正主義を含むニセ科学がまかり通るようになります。その最たる例の南京大虐殺についてでは、日本国内の歴史学者でも否定論をぶち上げる人間は皆無。歴史修正主義者の政治家など掃いて捨てるほどいるはずですが、してみると日本の歴史学者はかなり出来がいいのでしょう。政治家の妄言とは無関係に実利を求める財界や官僚たちが存在するためなのかもしれません。同じくナショナリズムの絡む捕鯨問題も、自然科学分野では決着のついている話ですが、日本の理系の無能さが際立つ話題でもあります。極狭い分野で少数の専門家が官僚に財布と急所を握られている状態では、研究者がいかに優秀でもいかんともしがたい問題ではあります(歴史学でもこういう例はある?参考:http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100115/p1)。それにしてもクジラ問題について、生態学者や動物学者といった近隣分野の人たちは何を考えているのでしょう。多分みなさん、私が勉強を始めるよりも前に知っていたはずです。本当は王様が裸ということを。

 上の二つに比べると、原発はニセ科学や歴史修正主義の問題ではなく、新しく出来た技術の舵取りの問題と思います。民主主義社会で原子力発電が問われるべきは、「原子力を使ってなんとか発電は出来るようになったけど、みんなどうする?これ使う?」というもののはずです(原子力推進がお上の決めた方針ですし、Dr-Setonさんは「原子力(原発)運用に伴う夥しい犠牲と差別構造を許容できるか否か、の問題」とまとめています)。「科学は誰のものか」(平川秀幸 著)には、遺伝子組換え生物について市民が持つ疑問の一つとして次が挙げられています。

予見されない有害な影響が生じた場合の救済策としてどんなプランが立てられているのか?

原発には事故の場合について、なにか方策があったのでしょうか。「事故は起らないから安全」→「メルトダウンしないから安全」→「メルトダウンして放射能が外に漏れたけどこの量なら安全」と、説明が一貫して変遷し続けているように見えます。メルトダウンが明らかになった以後、個々の説明は科学的には正しいのかもしれません。(こちらも現在進行中であるけど)チェルノブイリと比べても、近隣の住民の多数に重篤な健康障害が起る可能性はかなり少なそうです。しかし、私の不安は払拭されません。不安の原因は科学的な知識の不足ではありません。事前の説明の不十分さからみて、現在の被害と今後起きる被害の補償が多分なされないであろう点がまず不安です。今まで原発の掃除をしてきた人たちなどの事も気になります。東電は原発をどう説明してきたのか見ようとしても、ホームページにあった原発礼賛のポンチ絵はもう閲覧できません。この人たちも原子力発電に自信を持っている訳じゃなさそうです。

 検証の方法や結果の解釈は客観的なものでも、何を検証の対象に選ぶのかは政治的判断であると言えます。例えば捕鯨問題。日本では、反捕鯨派の一部に見られる奇矯さが特に好まれて論じられていますが、翻って大本営たる水産庁や鯨研の正当性を検証する動きはあまり活発ではありませんでした。南京大虐殺を論じるブログのコメント欄では、「中国のチベット侵略を非難しないお前は云々」という書き逃げは頻出です。二つの事を同時に追うのは大変骨の折れるものなので、たいていの人は論じる対象を一つに絞っているのですが、その行為はある意味「政治的」判断です。日本軍の戦争犯罪を問題にしようが、外国での少数民族迫害を追求しようがそれは人の自由であり、テーマの選択は純粋科学ではありません。反原発派の中にはうんざりするようなのが山ほどおり、それらへの批判はいわゆる「ニセ科学批判クラスタ」がやっていますが、ニセ科学批判に熱心な人で原子力政策の中枢を厳しく検証している人はいるのでしょうか。プルトニウム飲んでも平気とうそぶく人が原子力政策の中枢にいる事の方が、バズビー博士のあやしげなるサプリメントより問題は大きいと思うのですが。御用学問のほうがニセ科学より問題は大きいとする論もあります。

 研究とは政治であり、問題意識を持った市民が自ら研究調査し、解決策を模索していくのが成熟した民主主義社会での政治参加のあり方だ、という意味の米本昌平さんの言葉が「科学は誰のものか」の中で紹介されています。科学の手法やデータが政治的干渉を受けるのは好ましい事ではありませんが、畢竟、テーマを選んで研究する科学も政治活動なのです。政治ならば通常、対決よりも妥協や解決策の模索が好ましい事になります。平川さんは前掲書の中で、吉野川可動堰を巡る議論を実例に、単純な賛成/反対ではなく「疑問派」であることの重要さを論じています。これは技術の舵取りを論じる原発にも当てはまる事です。二項対立からの脱却が説かれている点は、他の二つのテーマでも同様です。捕鯨問題を俯瞰した「解体新書『捕鯨論争』」(石井敦 編著)の帯には「『賛成』『反対』はもうやめよう!」とあります。南京事件を論じた「The Nanjing Massacre in History and Historiography」(J A Fogel 編)には(犠牲者数のみを比較する)数字のゲームはやめよう、というような事が書いてあった気がします(今手元にないので確認できん)。無論、これらは安易などっちもどっち論とはまったく別次元のもので、疑似科学や歴史修正主義に対して妥協しろという事ではありません。原発、捕鯨、南京の三題ではこうした専門家の期待とは裏腹の低レベルなことが起こっている事になりますが、その原因は日本政府とか日本社会にあるように思えます。

日本社会における研究者集団がその社会的責任をきちんと果たしていれば少なくとも現在のようなかたちでの「紛糾」などは生じなかったはずであること、がそれである。想定可能であったはずの事故の想定を封印し、科学的な意義の希薄な調査捕鯨を放置し、否定しようがない大虐殺の存在を否定する大学人が存在することを許してきた責任は誰よりも日本の研究者集団が負うべきものである。 
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20111002/p1

 以前に「汗顔の至り」と形だけでも反省の弁を述べていた事を思い出して私は自分の良心を慰めた。御用学者wikiにある「エア御用」の項目は、私にとって理解不能か賛成できないものが大半です。菊池誠さんへの常軌を逸した執拗な攻撃も理解できません。が、それでも尚、お上への批判をタブーとする空気(エア御用)は存在すると思う次第。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。