3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

疑似科学と歴史修正主義の複合体としての日本捕鯨

 「クジラフエル→サカナヘル→オレコマル」式脳内海洋生態系理論や「捕鯨をやめるのはクジラを過剰に保護することになる」という官僚の言葉遊びが疑似科学の見本なら、「日本は捕鯨の優等生」というのは歴史修正主義の見本でしょう。具体的な事実についてはさんざん論じて来たのでここでは述べません。
参考
科学について
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-31.html
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-85.html
歴史について
http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-49.html
やる夫で学ぶ近代捕鯨史?番外編?
http://chikyu-to-umi.com/kkneko/aa1.htm

さて、こちらの記事とコメント欄ですが。

「捕って問題ないなら捕りゃいいし、疑念があるなら止めりゃいい」と思いつつなぜ農林水産省があれほど懸命になるのかその裏はなんだ? という程度なんです
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080120/p1

とかなり中立的だったApemanさんが、推進派と対話するにつれ、

現実問題として、事態を動かす必要を感じているのは捕鯨容認(or推進)派であるわけです。つまり相手を説得するという動機をより強く持つべきは捕鯨容認(or推進)派であるわけです。私がこのエントリで問題にしているのは、このような前提の下では、捕鯨容認(or推進)派こそが相手の主張を誠実に理解する努力をしなければ、結局通る主張も通らなくなるよ、ってことなのです。例えば

>狂信的な反捕鯨団体

といった言い方を簡単に使う人々がいるわけですが、相手を「狂信的」と呼んでしまえばもはや議論は成立しません。相手のパースペクティヴからは捕鯨容認(or推進)派こそが「狂信的鯨殺戮者」と見えているかもしれない、という想像力も欠けていないでしょうか? 双方が相手を「狂信者」呼ばわりして議論が成立しなくなれば、結局捕鯨容認(or推進)派が損をするわけでしょう? 捕鯨禁止派が鯨の生息状況に関わる事実を誤認していた場合のリスクと捕鯨容認(or推進)派が事実を誤認していた場合のリスクとを比較した時、後者の方がより「取り返しのつかない」事態になることは確かなんです。この「取り返しのつかなさ」の圧倒的な非対称性を勘定に入れずに安易に「狂信的」という言葉は用いるべきじゃないでしょう。その意味で、これは最初から五分五分の議論にはなりようがないんですよ。禁止派は懸念があることを示せばよいのに対し、容認(or推進)派は懸念の余地がないことを示さないといけない。もともと容認(or推進)派は高いハードルをクリアしないといけない立場にあるんです。満州事変をひきあいに出したのは、「自分の主張が相手にどう理解されているかを正確に理解する」ことが大切だ、という教訓としてです。

三浦淳氏の主張を読むとかえって反捕鯨派に肩入れしたくなりますなぁ…。

と言うようになるあたり。自分と意見の違う人間を論じるのに「病理」という言葉を使うのは、上品な人たちには、大学人としての品格と教養に欠けると思われるでしょう(私は上品さとは無縁のパンクなので「クソみてぇな御用学者」と思うだけですが)。歴史修正主義についての個人的に気に入っている記事はこちら。

「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見

彼らは、自らの主張が国際社会でどのように受け取られるかがまるで把握できておらず、内向きの論理のみで行動していた。それはまさに戦前の日本そのままだ。
- - -
歴史修正主義の最大の問題点はこの稚拙で独善的な内向きの論理、内輪でしか通じない私的な論理を、内輪の論理だと気づくことができず、その独善的なときに差別的な認識を露わにしてしまうことだ。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080103/p1

上の記事は捕鯨とは関係ありませんが、捕鯨問題についても日本の行動はそのままあてはまります。実際、捕鯨外交史の専門家も次のように分析しています。

「地球の友」や「グリーンピース」等の環境NGO は、単純明快な論理、善悪二元論的敵対関係の明確化、闘争的パフォーマンス、シンボルやイメージの重視と多用という劇場型政治により「捕鯨= 悪」というイメージをとりわけ英米において定着させることに成功、自らの立場を書籍やパンフレットを通じてマニュアル化し、科学的正当化と人道規範への接合を図った。対して捕鯨を推進・擁護する側は、これらに対抗する言説を構築・拡散する能力及び意思が不十分であり、これが捕鯨推進側の敗北の一因であると捉えられよう。さらに、国内的にはナショナリズム規範と接合し、これに即した言説の編成によって、捕鯨支持の世論を国内的に形成することに成功したものの、接合したものがナショナリズムという対外的には訴求力に乏しいものであり、またこうした言説がともすれば反捕鯨側に極めて対決的なものであったことが、ますます日本国内と欧米各国との間における意見の分極化を招いたと考えられる。

1970年代における日本の対外捕鯨政策 その敗北と要因
真田康弘


 捕鯨推進派をウォッチしていて持った印象は、彼らは何が批判されているのかを理解しないということです。いやしくも学問の作法を知る人間ならば科学の話題については少なくともネイチャーやサイエンスでどのような議論がされているかを一目みてみるべきであり、そこには「クジラが可哀相」とか「クジラの知能」などという議論は存在しません。もともと捕鯨にまつわる俗論を信じていた私が捕鯨反対派に転向したのは、捕鯨に対する批判を読むにつれ、明晰なる理性の要求として調査捕鯨を弁護できないと考えたからです。

  ,j;;;;;j,. ---一、 `  ―--‐、_ l;;;;;;
 {;;;;;;ゝ T辷iフ i    f'辷jァ  !i;;;;;   事実を知れば捕鯨問題は終わる
  ヾ;;;ハ    ノ       .::!lリ;;r゙  そんなふうに考えていた時期が
   `Z;i   〈.,_..,.      ノ;;;;;;;;>  俺にもありました
   ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',.    ,f゙: Y;;f
   ~''戈ヽ   `二´    r'´:::. `!

「石井・大久保論文が和訳完成の暁は捕鯨推進派なぞあっという間に叩いてみせるわ」


 しかし、実際のところそうはなりませんでした。彼らは何が批判されているのかを理解しないのです。理解できないのか、理解したがらないのか、相変わらず「反捕鯨は感情的」「捕鯨問題は文化対立」「捕鯨問題は宗教問題」「捕鯨問題は人種差別(という割には反捕鯨国のオーストラリア人をひとまとめにして歴史などを罵倒するのが大好き)」という俗論が幅を利かせています。この構図はまさに疑似科学や歴史修正主義の問題と同じものです。
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テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済

Antifa


上の動画は下の記事より。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20090929/p1


http://www.youtube.com/watch?v=oXNqJSTv1BQ
http://www.antifa.de/cms/


http://www.youtube.com/watch?v=ce1RseAVOog
Bérurier NoirのPorcherieの訳文(mixiのアナキズムコミュより一部を転載)。

 そうさ!青年の力!若者たちよ、集めて、彼らの行動を妨げよう!戦争を止めるのに、ファシスト、あいつらのくだらないデモと活動を許すなよ!

フランス人の若者よ!
移民の若者よ!
連帯!!!!!

 黒人、アジア人、白人!みんな集まって、右翼団体を倒そう!

 そうさ!世界の若者からのメッセージだ!右翼団体,Le Front National(2)なんか糞くらえだ!
 右翼団体なんか、糞くらえだ!
 右翼団体なんか、糞くらえだ!
 右翼団体糞くらえ!
 右翼団体糞くらえ!


Solidarité!!!!!!!!!!!!!!

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