3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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Lügner!

http://kkneko.sblo.jp/article/16436041.html
 kknekoさんのところで知った団体。
http://www.wff.gr.jp/camp.html
 これを見て暗澹とした気持ちになった。悪気があってやってるわけじゃないのは分りますがね。

 学術論文の裏付けがあるわけでもない、論理自体に欠陥のあるヨタ話を真実であるかのごとくに子供たちに刷り込んでるのがヒジョーに気に食わない。「水からの伝言」が学校の授業で使われているのをみた科学者たちの嘆きがよく分る。私が入れ知恵した子供たちならこういうだろう。

『クジラは人間がとるより多くの魚を食べるということなので、どのくらいの量までならクジラが食べてもいいのか聞いたけど、おばさんは答えてくれなかった。』

『増えているミンククジラによってシロナガスクジラが増えないということだけど、どのくらいミンクを減らせばシロナガスが回復するのか聞いたら、おばさんは答えてくれなかった。』

 これは単に間違っていることを子供たちにさも本当のことであると教えただけにとどまらないかもしれない。
amasakiさんのブログでしったニュース
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1147.html

アフリカの魚激減問題で非難される日本
 日本が「漁獲の減少はクジラのせいだ」などというから、貧困国たちが漁獲減少の真の原因に取り組むのをさぼってしまうじゃないか というツッコミ


Africa fish fall blamed on Japan
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7470934.stm
 いくら貧困国とはいえまともな教育を受けた人間がこんなヨタ話を真に受けるかよ、と思ったが意外とだまされてしまうのかもしれない。日本の小学生が「漁獲減少の犯人はクジラ」と信じたままだと科学教育上よろしくないと思うが、さらに驚いたのがこの一言。

Dan Goodman, a councillor to Japan's Institute of Cetacean Research which manages the nation's scientific whaling programme, said Japan had never said that whales were the cause of declining fish stocks.


http://www.icrwhale.org/05-A-c.htm#05
 たしかによーっっぉっく読んでみると日本鯨類研究所のパンフレットでも「影響は絶大」とか「見過ごすことのできない問題」とかぼかしてますね。詐欺の手口として覚えておきます。別団体ですが、鯨類研究所と共に捕鯨推進大本営を形成する捕鯨協会のサイトではこう言われています。

http://www.whaling.jp/taiou.html

8 鯨が魚を食べるから漁業資源が少なくなるというのは嘘だ。資源の枯渇は漁業者の乱獲や自然環境の変化によるところが多い。

(回答)  世界中の鯨類が捕食する海洋生物の量は、世界の漁業生産量の3?5倍に上ります。また、日本近海において鯨類が、カタクチイワシ、サンマ、スケソウダラなど、漁業の重要魚種を大量に捕食していることが胃内容物調査で明らかになっています。鯨類が大量の魚を捕食していることは事実であり、鯨を間引くことでその分人間が魚を利用できることは間違いありません。実際に、沿岸漁業者などからクジラによる漁業被害に対する苦情が出ており、早急な対策が必要です。
また、クジラは海の食物連鎖の中で最上位の捕食者であり、クジラだけをいたずらに保護することは海洋生態系のバランスを崩すことになります。


 上の文面では"Whales are the cause of declining fish stocks"と断言してはいないのかも知れません。でも読んだ人間は"whales are the cause of declining fish stocks"と解釈すると思うぞ、フツー。詐欺の手口として覚えておきます。

 学問の自由を謳歌してきた(現在完了型、継続)身としては御用学者なんて小説の中だけの存在だと思っていましたが、21世紀の日本(ましてや自然科学分野に!)に実在したとはね。我ながら考えが甘かったと思います。どこでもあるのかね、こういうことは。救いは、本職の海洋生物学者で捕鯨推進大本営発表に積極的に与する人間が絶無であることで、調査捕鯨が無くなれば日本の鯨類学は大分正常化するでしょう。どうやら大半の専門家にとってクジラの肉というのはプライドと引き替えにするほどうまいものではないようです。

(売れない鯨肉の消費をなんとか維持しようと色々キャンペーンをやっているのが実情というのはもちろん分ります。つまり伝統的には日本人の大半はクジラを食うことなく過ごしてきたのですね。20世紀以前の捕獲数が多いわけないもん。熱い注目を浴びるのは地方の沿岸捕鯨のニュースよりもIWCやらシーシェパードやらが絡んだ話ですからね。スーパーマーケットに行ったらいつでもクジラの肉が売っている、なんて事になったらクジラは滅びるよ。)

An Alternative Explanation of Japan’s Whaling Diplomacy in the Post-Moratorium Era
Ishii & Okubo, Journal of International Wildlife Law and Policy 10:55-87 (2007)

の要旨がグリーンピースのサイトで手に入ります。著者本人の監修を経たものなので要約の信頼性は保証付きでしょう。
www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/documents/evidence12-2

捕鯨問題は水産庁の専管事項である。各国が鯨類保護に傾く中で、日本は1) 国際捕鯨取締条約の逐語解釈(「モラトリアムは同条約の主旨に反する」)、2) 科学主義(「モラトリアムは健全な科学にもとづかない」)、3) 捕鯨文化論(捕鯨と鯨肉食は日本の固有文化)という3 点セットの反論を掲げ続けてきた。とりわけ捕鯨文化論は、米国EEZ(排他的経済水域)内での日本漁船操業と引き換えにIWCモラトリアム決議(1982 年)への異議を取り下げるにあたり、国内のモラトリアム容認論と、捕鯨問題以外にも高まっていた国際的な不評(ワシントン条約交渉における絶滅危惧動物由来産品の取引問題など)への巻き返しを図るべく、ナショナリズムの喚起により政治的支持を調達する手段として新しく採用されたもの。これは1970 年代前半から日本捕鯨協会が広報を外注した広告代理店が成功裡に捕鯨文化論を日本社会に浸透させたことが、今日まで日本社会に根を下ろしている遠因となっている。捕鯨文化論がそうした活動による政治的構築物であることは、1972 年にモラトリアムが国連人間環境会議(ストックホルム)で提案されたにも関わらず、朝日新聞と国会議事録の語句検索を行っても1979 年まで、捕鯨を日本文化と結びつける記述はほぼ皆無だったことから確認できる。同広告代理店によるマスコミ論説委員クラスと文化人の囲い込みが奏功した形である。


してみるとGPの言っていることは正しいのかな。
http://prweb.org/fbird/00013.htm

◆作られた「鯨食文化」

 1950?60年代にかけての世界的な捕鯨のピークを経て明らかにクジラが減少していることがわかりはじめ、さすがにこれはまずいということで捕鯨の抑制がはじまります。ですが、日本は、水産業界の産業構造を維持するために、各国の捕鯨枠を買いあさり大規模捕鯨を継続しようとします。
 国内での消費低迷と世界的な捕鯨抑制という波の中で、水産業界などは「捕鯨継続」のためのキャンペーンを展開します(詳細2面)。実は、現在日本で常識とされている「鯨食文化」のイメージは、このキャンペーンによって広まったものなのです。

 「誰もがクジラを食べたことがある」という社会的事実と「昔からクジラを食べていた地方がある」という歴史的事実を組合せ、あたかも「日本で戦後食べられてきたように、昔からクジラが大量に消費されてきた」かのようなイメージが作られました。この、新たに作られた幻想の「伝統食文化」は、冷蔵輸送などの技術を駆使して大消費地にクジラを持込み、日常的に大量に消費するというものでした。そして、この「新・伝統食文化」は、野生生物であるクジラにとって、極めて過酷なものであったのです。


 針小棒大に宣伝したわけだね。伝統的には、限られた地方で微々たる消費が行われていたクジラが、あたかも大昔から日本中で日常的に消費されていたかのような幻想を植え付けたわけだ。「日本人はクジラを捨てるところなく利用してきた」というのも、当たり前だったことをさも特別なことであるかのように言っているにすぎない、産業構造が変化した現在では通用しない話だ。

すべての材料を勘案すると、水産庁の本音は、経済的に成り立たないのを知りつつ商業捕鯨再開を建前に掲げる一方、モラトリアムによって“(科学)調査捕鯨”継続の国庫補助を正当化し、官僚の無謬性神話を維持することであると判断せざるをえない。
(Ishii&Okubo, 2007 前掲)


 科学で嘘をつき、文化を捏造し、政治でまた嘘をつく。これはもうダメだろ。自分が信じてきたことがここまで虚構だと、かえって清々しい気分になるね。森下さんの白髪が気になって仕方ないよ。
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テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済

そのウソ、ホント?

http://www.whaling.jp/qa.html#06_03

Q.
クジラは捨てるところなく利用できると聞きましたが、本当ですか。

A.
本当です。日本人は、クジラを油や肉だけではなく、骨や皮まですべてすてることなく利用してきました。1832年には鯨の約70もの部位について料理法を記載した「鯨肉調味方」が出版されています。日本人にとってクジラは魚。貴重なタンパク源として古くから利用されてきました。皮、五臓六腑まで食べ物として利用する日本のクジラ料理は世界にも類を見ない素晴らしいものです。


 よく聞く話ですが、私はこれについてものすごく誤った解釈をしていました。すでに的確な考察は駒沢亭日乗で行われていましたのでこちらをご参照ください。慧眼、恐れ入ります。

駒沢亭日乗:捕獲されたクジラは本当に無駄なく使われているか?
http://komazawa.blogzine.jp/diary/2007/06/post_43af.html

 調査捕鯨ですら鯨肉を投棄していたことが分っています。以下GPの資料より抜粋。

情: 私、実際、共同船舶の方で、南極海で捕鯨の方に、調査の方に乗
  っていましたので。なぜ言おうと思ったのかというと、調査と
  いう名の下で結構な量のクジラの肉を捨ててたという事実が
  あるんでね。これはちょっと調査じゃないんじゃないかとい
  う、ちょっと疑問を持ちましてね、これは良くないということ
  で、感じて話したくなったということなんですけども。
調: クジラの肉を捨てていたというのは、具体的にはどういうよ
  うな形で行なわれたのでしょうか?
情: グリーンピースやらシーシェパードの妨害活動で捕れない時
  期があったので、急遽、急いで捕らなきゃならないという状況
  になって、一日にミンクで20頭以上捕ることが多かったんで
  すよ。そのときにはほとんど、20頭以上あがったときにはとき
  にはほとんど、雑肉ですかね、コギレとかムナサンとかいう雑
  肉はもう手が回らないんで、次の日までそのままあるんです
  よね。朝7時になったら次の新しいクジラがあがってくるもん
  ですから。その次は捌ききらないで、処理しきれなくて全部捨
  てちゃうんですよね。約ミンク一頭から350キロくらいの雑肉
  がありますから、20頭で、単純計算で7トンくらいは捨ててる
  という感じですね。
  
調: それはほぼ毎日のように7トンくらいの肉が捨てられてると
  いうことですか?
情: そうですね。20頭以上あがった時には間違いなく捨てますね。


 ましてや現在では需要のない鯨油や、日本でいくらでも手に入る肥料の足しになるかどうかわからない鯨骨(=生ゴミ)をわざわざ南極から持ち帰るのは商売人としては失格ですな。ミンククジラの全身骨格標本?毎年数百頭捕殺しているのだから、日本中の博物館で見られるはずなんですがね。捕鯨船の倉庫には出来るだけ商品価値のあるものを詰め込みたいものです。ウネスとかね。

 ところで江戸時代というのはものすごくリサイクル体制が整っていてそもそもゴミというものがあんまりなかったと聞いたんですがね。こことか。

 つまり、クジラが余すところなく利用できる特別な存在なのではなく、昔の人間は利用できるものは何でも利用していたということなんじゃないでしょうか。現在でも例えば肉牛だって、皮革製品に利用したり(私の革ジャンとか)、ギターのナットに牛骨を使ったり(私のギターとか)、肉骨粉として飼料に使ったり(これはもうないか)、余すところなく色々利用されています(肉骨粉はアダになったが)。ニワトリの頭や足もペットフードなどに利用していると聞きました。鯨油にしろ骨にしろガンのある内臓にしろ、現在では商品価値の低い/なくなった部分があるクジラは現実的には「捨てるところなく」利用できる存在ではないでしょう。いいか悪いかは別として、余すところなく利用されてるのは家畜の方なんじゃないかと思えてきます。骨までしゃぶり尽くされている、と言うべきか。

伝統的な沿岸捕鯨はどうでしょうか。
http://www.whalelove.org/wagon/story/story02 より
千葉県鋸南町 江戸時代の捕鯨について
 醍醐新兵衛(1632-1704)により始められた
 夏の時期だけ 年約7頭捕獲
 クジラからとれる油が最も商品価値があった(灯火、害虫駆除など)
 肉は漁師に分配

現在の和田の捕鯨
http://www.mboso-etoko.jp/top/goodlife/disp_A.asp?id=5494&group=17
 夏の間だけ ツチクジラ 年間26頭

 昔の沿岸捕鯨だったら余すところなく利用できたのでしょうが、現在は鯨体を陸に引き上げるスタイルの捕鯨でも、捨てるところなく利用するのは難しいんじゃないかと思います。なぜかと言うと。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0116-4.html

汚染濃度は鯨の種類や部位により大きく異なるが、ハクジラ類(ツチクジラ、イシイルカ等)の脂皮、肝臓等には濃度の高いものがあった。

特にハクジラ類の皮部や内臓は汚染が多く、食用とするには何らかの摂食指導が必要と考えられる。


 こうしたクジラの汚染度の高い非食用部分をそのまま肥料などとして利用するのは問題があるのではないでしょうか。また鯨油を生産しても(歴史的な作業として見学の価値はあっても)需要がないでしょう(PCBとかも入っているだろうし)。

 つまり、1)昔クジラが余すところなく利用されていたのは当時としては当たり前のことだったし、クジラ以外のものだって余すところなく利用されていた 2)現在クジラを余すところなく利用することは、南極から輸送するコストや近海クジラの汚染を考慮すると非現実的である、ということだと思います。なにか偉そうに捕鯨推進の理由としてできる話ではありません。それを「捨てることなく利用してきた」と現在完了形(継続)のような表現をするのは如何なものか。「捨てることなく利用していた(現在は捨てる部分がある)」とはっきり過去形で言うべきです。

 さて「クジラと日本人」(大隅清治、岩波新書)にはこうあります。

 クジラを食用に利用する点では、日本型捕鯨は先住民族生存捕鯨と共通する。しかし、日本型捕鯨は利用を徹底して、鯨体のすべての部分をその用途に応じて製品とし、料理法を工夫して鯨食文化を発達させて、有効に役立てている点で、日本型捕鯨の方が優れている。その上、第III章でも紹介したように、日本型捕鯨は捕鯨にまつわる多様な伝統文化を育ててきている。
 すでに欧米型商業捕鯨は失われており、これを今後そのままの形で復活させるべきではない。これから再開する捕鯨は、日本型の持続的捕鯨でなければならない。現にノルウェーで一九九三年から再開された捕鯨は、皮や骨や内臓を捨てたりして、まだまだ無駄が多いけれども、食用としての鯨肉の生産を目的とする点では日本型捕鯨に近い。


 江戸時代にはゴミの排出を極めておさえるリサイクル体制があったようですが、現代の産業/社会構造のもとでクジラだけ都合よく全て利用できるなんてことはないんじゃないでしょうか。

 もう一つ。「捕鯨は日本の伝統文化」について。これもウソではありませんが、もっと正確に言えば捕鯨文化を持っていた地域もある、ということでしょう。先に挙げた江戸時代の和田浦の捕鯨でも、鯨油を主目的とした年間7頭の捕獲数では、クジラが常食されていたとは考えられません。捕鯨を行っていた地域ですら、伝統的にはクジラは日常食ではなかったのではないかと思います。

 パオロ・マッツァリーノはこのように述べています。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson6.html

 しかし今回私は、資料を見つけるのにけっこう苦労しました。それは私が日本史の専門家でないせいもあります。でもそれにしても、です。職人や商人の生き方や長屋の暮らしぶりなど、真面目な町人の生活についてかかれた資料は山ほどあるのです。反対に、最下層の貧民や犯罪者に関しての本にも事欠きません。問題は、その中間です。違法とまではいかないけれど、不真面目でいいかげんなフリーターのような町人が少なくなかったにもかかわらず、そのことに触れている資料はごくわずかしかないのです。

 その理由は明らかです。江戸時代に関する資料や本を執筆した人たちが、日本人勤勉神話に洗脳された現代人だからです。しかもそのほとんどは中高年なのです。彼らはこどもの頃から日本人勤勉神話を教えこまれ、それを美徳として育ってきました。ですから、自分の常識からはみだしたものは、見たくもないし、調べもしないし、書きもしません。職人や商人が一人前になるまでどれだけ苦労したか、なんて話は現代の労働美意識と合致するので喜んで書きますが、その日暮らしを謳歌していたという事実は、労働美意識に反するので無視します。歴史的事実はたったひとつですが、歴史の解釈は、のちの世の道徳・倫理観によって異なるという見本です。


 同様のことが捕鯨にも言えるのではないかと思います。捕鯨をやっていた証拠や、クジラを神と崇めて捕鯨を禁忌とした証拠ははっきりとしたものが出てきます。しかし「クジラにあんまり興味がなかった」という資料はなかなか出てこないのではないでしょうか。そして、消費量や流通からみても伝統的に多くの日本人は、クジラを常食していたとも、鯨食に特別の執着を持っていたとも考えられません。私は千葉県に10年以上住んでいましたが、和田で捕鯨をしていることは学校でも習いませんでした。「日本人は昔からクジラを食っていた」神話に洗脳された人は、限定的文化を普遍的なものと拡大解釈してしまうのでしょう。事実の間違いではなく、事実の捉え方の間違い、というやつです。

JUN MORIKAWA: I agree that there was a kind of whale-meat eating culture, but pretty much localised. It cannot be said it's a national culture.

http://www.abc.net.au/worldtoday/content/2005/s1417684.htm

満足ですか?

 IWC科学委員会による2006年12月の時点での南極海調査捕鯨の評価はこのようなものであるらしい。

http://www.whaling.jp/press/press080107.html

2006年12月に、IWC科学委員会が日本の南氷洋調査捕鯨をレビューした際に、「調査のデーターは海洋生態系内の鯨の役割について調べる上で価値のある情報を提供しており、科学委員会や南極海洋生物資源保存条約のような機関に重要な貢献をする可能性がある」と結論づけている。科学委員会は1997年にも、調査の結果が「南半球のミンククジラの管理を向上させる可能性がある」としている。


 えーと、それだけなの?

 日本は南極海では1987/88年から2年間の予備調査、1989/90年からは16年間の本格調査とかなり長い期間調査しているわけでして、投じられた予算、捕殺したクジラの数ともにかなりのものになります。ところで税金をいかに無駄に使ったかが有能さの証となる官僚さん達と違いまして、私ども科学者に課された仕事には明確な成果が求められます。会社員の人もそうだと思いますが。製薬会社とかは特に。

 仮に、私の現在の雇用者のここ20年ばかりの研究成果について「今後の進化生物学の研究に重要な貢献をする可能性がある」とか言ったら彼は怒るんじゃないかな?少なくとも不満は言うと思いますよ。「もっと成果について具体的に言及しろよ!あと『可能性がある』ってのはどういう言い草だ、ちゃんと貢献してきただろ!」位は言うでしょう。日本の調査捕鯨はよくも悪くも注目されていますし、その点IWCのスターなわけで、そのスターの成果についての評価にしてはシンプルにして曖昧すぎる気がします。プロジェクト発足後1年の時点での中間評価なら「重要な貢献をする可能性がある」という曖昧さも仕方ないかなと思いますが、最終段階でこれでは高い評価とは言えないでしょう。もし本当に実績をあげてきたと思うのであれば、「貢献をする可能性がある」という評価は不当に低いものだと感じるはずです。

 鯨類研究所によれば和文、欧文ひっくるめて100報前後のピアレビューを経た論文があるようですが、専門家から見てこれなのだから

A 1997 IWC review of Japan’s scientific whaling reported that the research conducted failed to meet its stated objectives and that the data derived were “not required for management”. Even today, the programme’s publication record is very poor for an 18-year research endeavour of this size. Very few peer-reviewed papers have come from the Japanese programme, none has been published in the IWC’s management-focused Journal of Cetacean Research and Management, and only one (on stock structure) is relevant to the scientific parameters used for species management.


Gales et al., Nature 435: 883-884 (2005)より抜粋
私がいまだに調査捕鯨のマスターピースと言える論文を発見できないのも当然でしょう。科学調査目的で大量のクジラを捕殺する必要性さえ理解できれば私はいままでの論考を全てリトラクトしますよ(絶滅危惧種を研究するためには非致死性調査が第一である以上、研究目的でのクジラの大量捕殺の必要性など無いことを確信しているが)。

 20年近く労力を費やしてメインでやってきた仕事が「重要な貢献をする可能性がある」で片付けられているのであれば、普通の会社では責任者の首が飛ぶレベルの失敗プロジェクトと見なされるんじゃないでしょうかね。その前に少なくとも、途中で計画の変更とかをして損害をおさえようとするでしょう。そういうことをやらずに済み、なおかつこのような曖昧な評価に満足できるのが官僚さんと呼ばれる人種なんですね。彼らのお仕事は現状維持 ー前任者から受け継いだものを出来るだけ形を変えずに後任に受け渡すー ですから、20年もの間莫大な予算をつぎ込みながら何の進展もなかったなんてのは奇跡に近い大成功なのです(官僚さんたちにとっては)。

 5人組のナントカセンタイ相手に毎週一人怪人を差し向けては作戦変更も戦略的撤退もせず、ずるずると毎週個別撃破され、敗戦からなにも学ばない団体を子供の頃に数多く見てきましたが、この手の団体は大抵最後にはつぶれます。

 なんというかね、忸怩たる思いというか慚愧の念にたえないというか。「反捕鯨派は非科学的」とか「捕鯨は日本の伝統文化」とかのヨタ話を鵜呑みにして自分の頭で考えてこなかった間に数千のクジラが科学の名のもとに空しく殺されたということと、日本の鯨類科学の健全さが失われたということを考えると痛惜の念にたえないわけですよ。生物学者の端くれとしては。それがここまで執念深く「調査」捕鯨を攻撃し続ける理由です。念を押しますが、クジラを食うこと自体には文句は言いませんよ。

文化帝国主義ねぇ…

http://jp.youtube.com/watch?v=QZYXv_Afmo8

 イルカやクジラをめぐる文化や考えには多様性があります。日本でもクジラを殺すことを禁忌として焼き打ちという強攻手段で捕鯨に反対した例が過去にありました。お互いの価値観を尊重しあうのが現代人のマナーと言うものでしょう。女優である彼女が演じたのは日本。多くの人が認める南極海鯨類サンクチュアリに乗り込んで科学的価値の全くない「調査」捕鯨をすることがどれだけ相手の価値観を踏みにじり反感を買うことなのかを、真逆の表現方法でよく知らしめてくれています。まったくもって傲慢なる文化帝国主義は排除するべきです。

 釘を刺しておきますが、反捕鯨国もかつてクジラを乱獲していたことを指摘しても何の説得力も持ちません。かつては高校生の喫煙も電車・バスの中の喫煙もOKだった日本ですが、昔の話をいくらしても全く説得力を持たないでしょう。現在このような行為は認められません。企業が消費者の現在の価値観を無視できないのと同様です。

 「我々は君たちの価値観を尊重して南極での捕鯨を中止する。だから君たちも我々の文化であるイルカ漁などの沿岸捕鯨については文句を言わないで欲しい」くらい言わないと公平性と説得力に欠けると思うんですが、何故かクジラを殺すのを嫌う人びとはバカにされますね。

第59回 ヒトと動物の関係学会 月例会:『人間とクジラの多様なつきあい方』
http://www.hars.gr.jp/katudo-houkoku/59th%20getureikai/59thmonthly.htm

捕鯨賛成か反対かというような問題については元来、感情的、感覚的で構わないものだと思う


レベルの高い捕鯨賛成派?
 とりあえずいままで見た中で一番レベルが高い意見は「クジラ食いたいんだけどどうすればいい?」です。これは間違ったことを言っているわけではありませんから、批判のしようもありません。シンプルでストレートで、多いに議論の価値のある意見です。

私の意見ですが、

「とりあえずいま日本国内で入手できる鯨肉の多くは多分合法なので食いたければ食いたい時に食って下さい。仮に違法であっても末端の消費者が罪に問われることはないと思います。ただ、馬肉などをクジラと偽っている場合もあると聞くのでご注意下さい。」

「南極での捕鯨継続については科学的にも政治的にも文化的にも勝ち目はないのであきらめた方が賢明です。そのかわり日本沿岸の捕鯨維持に(乱獲防止を含め)力を割くべきです。ただし、粕谷先生のご指摘もありますので、沿岸捕鯨にしても問題がないわけではないようです。また、国内にもイルカやクジラを殺したくない人びとがいますので、沿岸にもサンクチュアリの類は設定されるべきでしょう。捕鯨は将来的には消えゆく産業かもしれません。」

「伝統的猟法だから安心とか地球にやさしいとかいう保証はありません。手法に変化がなくても対象となるイルカ、クジラの生態は変化する可能性があります。ついでに言うと、沿岸捕鯨も伝統とは言えないみたいですよ。海洋生態系の現在については参考までにこちらもどうぞ。http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-602.html

「一時のように鯨肉が安く大量に手に入ることはもうないとあきらめて下さい。クジラ資源に影響しない捕獲量で手に入る鯨肉はそんなに多くありませんし、それを知っている水産会社も消極的です。」

「昔、鯨肉は天皇や豊臣秀吉みたいな上流階級向けの食材でした。現在はその伝統に回帰しつつあります。国会議員のような偉い人たちがたまにたらふく喰っているようです。
http://www.e-kujira.or.jp/topic/coo/07/0509/index.html
今年の様子(魚拓)

「近海産の鯨肉は結構汚染がひどいようですが、妊婦や幼児でなければ多食しなければ多分大丈夫です。長い歴史のほとんどで、日本人は日常的に鯨肉を食っていたわけではないので、伝統に立ち返ったと思い、年に一度味わう大人の珍味程度にお考え下さい。」

「そもそも手に入りにくいから珍重されるのであり、そんなにうまいものではないという話ですよ。私の思い出す限りでは馬刺に似た味でした。毎日食うと多分うんざりするよ。」

くらいでしょうか。

参考
厚生労働省は鯨肉の流通について慎重である
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0116-4.html

外務省は捕鯨に関する稚拙な外交を苦々しく思っている
http://www.amakiblog.com/archives/2008/06/14/#000933

農林水産省しかり
http://sezam.jugem.jp/?eid=1685

水産会社は商業捕鯨について消極的である
http://himadesu.seesaa.net/article/100592613.html
(そもそも商業的に成り立つほどの鯨肉収穫は望めないだろう)

メンツ丸つぶれ

 (何度か書きましたが)私は捕鯨に関して大きな論争があるのはずっと知っていたのですが、「捕鯨に反対するのは非科学的で感情的」という俗論を何となく信じており、詳細な検証を行ったのは今年になってからです。その結果、普通の科学者なら日本の調査捕鯨に疑問を抱くのが当たり前、という結論になりました。

 この問題については国際政治などを専攻する東北大の石井先生がよく分析されており、捕鯨の「科学」がいかにおかしいか指摘されています。畑違いの人のほうが本職の生物学者よりもよくものを知っていたわけで、これは生物学者としてのメンツ丸つぶれなわけですよ(別に石井先生を恨むとかそういうことはありませんが)。生物学者は恥を知れ、と非難されても仕方ないと思うくらい恥ずべきことだと思います。政治家ならこう言うべきか。「不徳の致すところであり、誠に汗顔の至りであります。」

 まぁ、生物学者の端くれとしてこれほど恥じたことはないでしょう。壮絶に無根拠な思い込みをしていたわけです。。。

www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/documents/evidence12-2 pdfファイルより抜粋

これは1970 年代前半から日本捕鯨協会が広報を外注した広告代理店が成功裡に捕鯨文化論を日本社会に浸透させたことが、今日まで日本社会に根を下ろしている遠因となっている。捕鯨文化論がそうした活動による政治的構築物であることは、1972 年にモラトリアムが国連人間環境会議(ストックホルム)で提案されたにも関わらず、朝日新聞と国会議事録の語句検索を行っても1979 年まで、捕鯨を日本文化と結びつける記述はほぼ皆無だったことから確認できる。同広告代理店によるマスコミ論説委員クラスと文化人の囲い込みが奏功した形である。


IWCでは日本政府代表団を除くほとんどすべての参加者が、日本が「科学」といえば通常の科学ではなく「日本の科学」を指している、と解釈していることに端的に表われている。


すべての材料を勘案すると、水産庁の本音は、経済的に成り立たないのを知りつつ商業捕鯨再開を建前に掲げる一方、モラトリアムによって“(科学)調査捕鯨”継続の国庫補助を正当化し、官僚の無謬性神話を維持することであると判断せざるをえない。


 今後も粛々と捕鯨推進論を血祭りにあげていく所存であります。

逮捕されちゃったね

 鯨肉横領疑惑に関しては不起訴の一方でGPのメンバーは逮捕されたようです。起訴までいくかな。これについては私としては特別の感情はないのですが、渦中のメンバーのブログにはこうあります。

「横領鯨肉」ニュースNo11 逮捕、IWCそしてG8へ
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/whale/sato/172

調査捕鯨には深い腐敗があるんだなーと実感しました。


 まぁ、私が今年になってはじめて捕鯨に関心を持って色々調べるようになったきっかけの一つにシーシェパードが暴れたから、というのがあり、その結果として想像以上に深刻な事態が進行していると確信するようになりました。私は佐藤さんのいう「調査捕鯨には深い腐敗がある」に同感ですし、その点ではSSにもGPにももっと感謝するべきなのかもしれません。特に寄付とかはしていませんが。

 「日本の捕鯨は科学的根拠に基づいている」という俗論はよく聞きます。ニュースではオーストラリアのギャレット大臣が「日本の『捕鯨は科学的だ』という言い訳は恥ずかしいことだ」とコメントしていましたが、私もその通りだと思います。捕鯨推進派は「日本の捕鯨はグラフから読み取れるはずのない事実を読み取れる東洋の神秘でありムー大陸の超科学なのだ。すなわち、日本の捕鯨は超科学的根拠に基づいている」とでも言い直していただけないものでしょうか。

22-01.jpg

<牛肉をめぐる競争>
http://www.maff.go.jp/soshiki/syokuhin/heya/qa/alt/altqa010431.htm
2000年  アメリカ一人当たり 44.9キログラム(日本一人当たり 11.7キログラム)
日本の人口1億2000万 x 11.7kg=140万トン
アメリカの人口2億8000万 x 44.9kg=1257万トン
『アメリカ人は、なんと、1年間に1257万トンの牛肉を消費していることが分かっています。これは、日本人が食べている牛肉の量(約140万トン)の約9倍にあたる量なのです。日本人の食料となる肉牛資源へ影響は絶大です。アメリカ人と日本人の間に激しい牛肉争奪競争があることは間違いありません。アメリカ人を間引くことで日本人の口にはいる牛肉が増加することが期待されます。』

<水騒動>
水田に供給する水資源をめぐり対立が起きた、という話は割と聞きます。ここでは架空の話ですが、水源を共有する人口も水田の規模も同様のA村とB村があったとします。と、まぁ想像ですが水の消費量はA村とB村でほぼ1:1でしょう。消費量が1:1ならそれは平和的共存かと言うとそうでもありません。何しろ水騒動なのだから、首脳間の政治交渉から夜陰にまぎれた破壊工作や昼日中の実力行使まで様々な闘争がそこにあるわけです。その競争の結果として1:1なのです。お互いに「あいつらさえいなくなればもっと水が手に入る」と思っていることでしょう。

 …消費量を比較しただけでは競争についてはなんにも言えないというのが科学的に妥当な意見なのですよ。棒グラフだけ出してクジラが漁業への脅威だとか喚かれても、普通の人間にはさっぱり理解できません。まぁGP、SS、IFAWなどの反捕鯨派がいてもいなくても、捕鯨推進派がトンチキなことを言い続ける限りは私は考えを変えないでしょう。 【“逮捕されちゃったね”の続きを読む】

ルイセンコは死なず

 獅子が大きなしっかりした声で云いました。
「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」
 こうして事務所は廃止になりました。
 ぼくは半分獅子に同感です。

 宮沢賢治 猫の事務所 ……ある小さな官衙に関する幻想…… より


 ルイセンコ事件は政治が科学を腐敗させた有名な事例である。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/introevol/Page27.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/gokai02.html
http://www.0600design.com/archives/2005/11/post_143.html

欺瞞:
鯨類研究所の唱える「鯨食害論」と「シロナガスクジラの回復をミンククジラが妨げている」という話は、捕鯨推進の両輪とも言える説であるが、(既に何度か批判したが)ここでも批判しよう。

「鯨食害論」について

 鯨類研究所は魚介消費を単純比較したグラフを示しただけで「クジラが人間の3-6倍のサカナを消費している」とさも驚いたように言っているが、では昔はどうだったのか、どのくらいなら「正常な」許容範囲なのかも述べていない。当然ながらこれに答えられるとは思えない。昔はもっとクジラがいて多くの魚介を消費しつつも、人間の漁業には影響していなかったはずだからである。

 クジラが漁業への脅威であるということを立証するには多くのステップが必要になる。

1 海獣は比較的大型で呼吸のために浮上して来るので目立ちやすく、このため漁業関係者からは害獣という印象をもたれやすい。この印象が本当かどうかを検証するのが科学である。

2 クジラは人間が利用しない空間のサカナを主に食べている可能性がある。漁業海域とクジラの分布、さらに双方が利用する空間や魚種、季節的変移など多くの要素を調べる必要がある。

3 クジラは、商業利用されるサカナだけでなく、それらの捕食動物も食べている可能性がある。この場合、クジラは間接的に漁業をアシストしている面もあることになるので、クジラを間引いた結果、短期的に漁獲が増えても長期的には漁獲が減る可能性がある。数学モデルによるシミュレーションも必須となる。

4 そもそも近代捕鯨が始まる以前はほとんど手つかずだった(ある意味保護されていた)クジラが最近になって漁業の競争相手になったというのは何かおかしくないか?

 こういった地道な検証をすっ飛ばした「鯨食害論」が自称懐疑論者たちの標的にされないのは不思議である。

「シロナガスクジラの回復をミンククジラが妨げている」説について

 まずもってシロナガスクジラの回復をミンククジラが妨げているというのは「仮説」であり、証明された「事実」ではない。仮説は検証される必要があるが、発表されてから10年以上経っても支持する事実の蓄積もなく、基本的な質問に何ら具体的な回答ができないことが明らかになっている。最初の「仮説(というよりむしろ貧弱な思いつき)」のまま何の進展もないのだ。
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/ohsumi/1/#c1

 この仮説を検証するためには南極のクジラやその他の生き物の生態を詳細に調べる必要があるが、鯨類研究所が異様にこだわるのはミンククジラを捕殺して胃の中を調べるということである。いくらミンククジラの胃の中だけを調べてもこの仮説は検証できない。ところがそんなことはおかまいなしに、「餌をめぐる競争によりミンククジラがシロナガスクジラの回復を妨げいている可能性がある」「ミンククジラを間引くことでシロナガスクジラが回復する可能性が高い」という根拠薄弱な「仮説」がいつの間にか「確たる事実」にすり替わるという疑似科学的展開をみせている。

 難病の治療にしろ絶滅危惧種の保護にしろ、多くの場合科学は華麗な回答を与えるものではない。魔法じゃないのよ科学は。「個体群の遺伝的多様性の解明」「繁殖生態の解明」などの地味な検証が行われるのが通常だ。「鯨食害論」にしろ「シロナガスクジラの回復をミンククジラが妨げている説」にしろ、検証すべきステップ(因にこれらの説の検証過程でクジラを捕殺する必要はほとんどない)や挙げるべき根拠をスキップして「捕鯨せよ」と主張しているのだ。捕鯨に都合の良い仮定がいつの間にか「事実」として扱われている。疑似科学の正式な定義がどうなのかは知らないが、少なくとも科学としてはお粗末である。

 某漫画では捕鯨に反対する架空の団体を愚かで醜く描くまるで大日本帝国の宣伝ビラのような手法が使われているが、現実に存在する捕鯨の主体たる鯨類研究所こそこれに劣るとも勝らないものではないのかね。

 別に専門家じゃなくても健全な懐疑精神をもった人なら同様の疑問をもつだろう。
駒沢亭日乗:捕鯨についてのまとめ
http://komazawa.blogzine.jp/diary/2007/06/post_605f.html

 これでは外国の科学者から相手にされないのも当然である。論文がアクセプトされない理由は「調査捕鯨が法的にグレーだから」とか「科学誌の編集部や査読者がクジラ保護論者だから」とかいう以前に、一般相手の説明でこれだけの疑似科学っぷりなのだから「論文が掲載にたる科学的価値をもたないから」というのが第一の理由だろう。

沈黙:
では日本の鯨類学者はそろいもそろってボンクラなのか?それはちがう。専門家が集団でこのような凡ミスをするとは考えにくいし、IWCなどでまっとうな科学的批判を受けているはずだ。ではなぜあやまちを改められないのか。以前にも書いたが、これこそが現在進行形のルイセンコ事件たる所以である。日本の雑誌はなかなか読めないが、抜粋して下さった方がいる。

葛の篭:なぜ調査捕鯨論争は繰り返されるのか
http://d.hatena.ne.jp/tomonee/20080208

現在、漁業資源管理を専門とする学者の間では調査捕鯨に疑義を表明することはタブーであると聞く。


 私が最初にもった疑問「他の専門家は調査捕鯨をどう考えているのか?」が解決しつつある。捕鯨を強く批判している専門家は海外には多くいるが、日本では既に退職された粕谷先生一人だけであろう。メディアに登場して捕鯨推進を唱えるのは水産官僚、捕鯨産業関係者、そして鯨類研究所の一部の人間だけであり、これがグリーンピースと論争するのだからとんだ目くらましだ(専門家に素人がいちゃもんつけているように見える)。

 これだけのお粗末な科学について、鯨類研究所の中にいる研究者の生の声は聞こえてこない(パンフレットが不十分なのだからブログなりなんなりで補足すればよいのだ。もしそれが出来るのであれば)。その他の海洋生物学者は賛否を明らかにしていない。ここに日本のクジラをめぐる科学の不健全さがあらわれている(王様が本当にすてきな服を着ているなら鯨類研究所以外の専門家たちがその服の素晴らしさを解説してくれるはずだと思うんですがね。本当は服なんか着ていないんじゃないですか。数ヶ月間真剣に見てきたつもりだが、私にはすてきな服が見えてこない)。

 鯨類科学の発展よりも捕鯨の継続が政治的理由により重視されているのだ。海洋哺乳類のような分野ともなると研究者のコミュニティーは小さな村の様なもの。その小さな村で誰も「王様は裸だ」と言えず、政治が科学を腐敗させている事例が現在進行中なのである。ルイセンコはいまここに復活している(自由の国の51番目の州かと思えばソ連邦に加入したりと色々仲間の多い国だな)。だが関係者を自浄能力のない無能と糾弾することは厳に慎みたい。こういう話はどこにでもあるだろうし、そうしたことを経験したことのない私が好運なだけかもしれない。

 私は科学の関係者のようなものだからして小市民的プライドやノスタルジー、国策、官僚利権、捕鯨産業などよりも同業者の利益と名誉を尊ぶ。だから言う。「調査捕鯨」で失墜した日本の鯨類学の面子を立て直すためには「調査捕鯨」の中止が必要である。 【“ルイセンコは死なず”の続きを読む】

青い裸の鳥の王様

その1 グラフの見方について
 下の図は北大西洋での漁獲と海獣による魚介類消費を1950年代と1990年代で比較したものである。この図から何が読み取れるか?
18-06.jpg

ア 海獣類は1950年代には人間による漁獲の約7倍を消費しており、1990年代には漁獲の約3倍を消費している

イ 海獣類の魚介類消費は減少している一方で、人間による漁獲は増加している

ウ 海獣類の減少が漁獲の増加に貢献している

エ 漁獲が増加したのは漁法や漁具の改良によるところが大きく、海獣類は人間の漁獲に影響していない

オ 海獣類は乱獲などにより生息数を減らしたため魚介消費量は減少したのに対し、冷凍技術や輸送技術などの発達により内陸国でも海産物が消費されるようになったため、人類の魚介消費量は増加した

 アとイは図から読み取れる事実だが、ウ、エ、オは図が直接示す事実ではなく推論にすぎない。この棒グラフをいくら眺めても、人間と海獣が魚介類をめぐってどのような競争関係にあるかは不明なままなのだ。競合関係を明らかにしようと思うなら、別のデータ(例えば漁場と海獣の分布地図など)が必要になる。この辺がわかれば棒グラフだけ示して競合を論じることのトンチキさはおわかりいただけると思う。
20-01umi.jpg

出典
Kaschner et al.,Modeling and mapping trophic overlap between marine mammals and commercial fisheries in the North Atlantic (2001)
日本捕鯨協会のパンフレット「海が壊れる」

その2 シロナガスクジラ回復法について
http://www.e-kujira.or.jp/geiron/ohsumi/1/#c1
質問

 南極海で…ミンククジラを間引かない限りシロナガスクジラの回復は保証されない。

 とありますが,どのぐらいのミンククジラを間引くと効果がありますか?また,シロナガスクジラが回復すべき適正水準とはどのぐらいでしょうか?


回答


しかしながら,依然としてクロミンククジラの資源量は南極海捕鯨が開始された時点に比して,はるかに高い水準を保っていることは確かです。その一方では,シロナガスクジラの資源水準は南極海捕鯨が開始された時代よりもはるかに低い水準に依然としてあります。つまり,現在の南極海の鯨類生態系は捕鯨の後遺症がいまだに残っている状態にあることは否定できません。
 アンバランスな文明の発達によって,世界の人口が現在のように爆発的に増え過ぎてしまった現在では,自然の生態系を,人間が全く関与しないで放置しておくことは許されません。増してや,南極海は世界の鯨類の宝庫であり,南極海を人類は積極的に利用し,“里海”として管理するべきです。

 人間が変化させた自然環境は,人間によって修復させる義務があると考えます。その一環として,小生が以前から主張しているように,シロナガスクジラ資源の回復のためにも,増え過ぎているクロミンククジラを対象とする捕鯨は早急に再開するべきです。


 これが鯨類研究所の正式回答とみなしてよかろう。何頭いるかもよくわかっていないクロミンククジラをとにかく間引け、そうすればシロナガスクジラが増えると言っているのだ。質問に数字を挙げて回答できていないということは、この「学説」が発表されて以来10年以上、シミュレーションすらやられていないことを示している。比較のため、米国海洋大気圏局が策定したシロナガスクジラ回復計画(Reeves et al., 1998)を抜粋しよう。

RECOVERY PLAN FOR THE BLUE WHALE (BALAENOPTERA MUSCULUS)
The key recommended actions of the proposed recovery program for the blue whale are to: (1) determine population structure of blue whales, (2) estimate population size and monitor trends in abundance, (3) identify and protect essential habitats, (4) minimize or eliminate human-caused injury and mortality, (5) coordinate state, federal, and international actions to implement recovery efforts, (6) determine and minimize any detrimental effects of directed vessel1 and aircraft interactions, and (7) maximize efforts to acquire scientific information from dead, stranded, and entangled animals. Criteria for delisting or downlisting recovering blue whale populations do not exist and developing them is one of the recommended actions.


 科学は魔法ではない。そもそもクジラは入念な事前調査の後に商業利用されたわけではなく、よく研究されないままなし崩し的に乱獲されたため、乱獲以前がどういう状態だったのかすらよくわかっていないのだ。鯨類研究所と海洋大気圏局のどちらが科学なのかは明白である。

その3 クジラは欠かせない食文化なのか
http://www.shokuikuclub.jp/contents/talk4.html
 服部先生にしろ小泉先生にしろ、ウンザリするほどクジラを食った世代の人はそれが普通だと思っているのだろうが、それは日本の伝統から見て異常に高い消費量なのだ。鯨肉の消費量は1960年代がピークである。
http://www.whalelove.org/whales/facts/fact3

 仮に1億人が一人年間1kgの鯨肉を消費すると仮定すると、一年に少なくとも1000BWUのクジラが必要になる。これでは現在いるシロナガスクジラを一年で絶滅させることになる。ミンククジラなら年間2万頭必要になるが、これも種の存続を脅かすには充分な捕獲頭数になる。戦後の鯨肉大量消費の方が異常なのであり、もともと日本人はそんなに大量の鯨肉を消費していたわけじゃないのだよ。

JUN MORIKAWA: I agree that there was a kind of whale-meat eating culture, but pretty much localised. It cannot be said it's a national culture.
http://www.abc.net.au/worldtoday/content/2005/s1417684.htm



その他 正しいように見えて間違っている意見というものがある
http://jp.youtube.com/watch?v=JBvdwTQDxHo
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「考えてもみて欲しい」
「捕鯨を続けたい国が種の絶滅を望むだろうか?」
「そんなはずがない!」

 よく考えたつもりなのだろうが、思慮が足りていない。

ウィキペディアより抜粋

+ニホンアシカ
衰退・絶滅の主な原因は、クジラと同様、魚を捕食するために駆除されたことと、皮と脂をとるために乱獲を受けたことである。

+ステラーカイギュウ
乱獲によって絶滅したことは疑いようがないが、発見当初から個体数が少なかったのは、当時、毛皮獣であるラッコの乱獲によりウニが大繁殖した結果、コンブをはじめとする近海の海藻類が枯渇していたためではないかとの説もある。

+カリブモンクアザラシ
16世紀以降、脂肪から油を取るための乱獲や、漁業関係者による駆除、観光開発による陸上での生息地の減少などにより数が大きく減少した。

+トキ 
肉や羽根を取る目的で乱獲された

+リョコウバト
鳥類史上最も多くの数がいたと言われたが、人間の乱獲によって20世紀初頭に絶滅した。

+オオウミガラス
大規模な乱獲により、数百万羽いたとされるオオウミガラスがたちまち数を減らすことになる。


 これらの動物の絶滅は関与する人間が望んだものだとでもいうのか。そもそもマグロやカニなど一般に好まれる魚介類は乱獲の傾向にある。知識のなさ、考えの浅さは捕鯨が自滅する要因である。

=-=-=-=-=-=
 当初、捕鯨について外人に変な難癖をつけられている程度の認識しかなかった私(今年になるまで南極で捕鯨をしているということすら知らなかった)は、はじめて真剣に議論を見たとき、捕鯨賛成・推進派と反対・抑制・慎重派のどちらが正しいのかさっぱりわからなかった(どちらにも理があるように見えた)。職業上の強みを利用して論文をあさってみた(つまり判断を専門家に委ねた)ところ、捕鯨推進の頭脳たる鯨類研究所の異常さがわかり、そのあと鯨類研究所のパンフレットを丹念に読んでみると、聡明な人間なら知識がなくてもそのおかしさを指摘できることがわかった。疑似科学の青い鳥はそこにいたのだ。

 実のところ、調査捕鯨の成果が鯨類学者の多数派に認められていないだけならまだ土俵際に踏みとどまっている可能性はあった。つまり、現在の鯨類学は生物学的側面を重視しているのに対し、日本のアプローチは水産学よりなのでその意義が理解されにくいという説明は苦しいながらも可能だった。その可能性を打ち消したのは上に挙げた前半二つの、他ならぬ鯨類研究所自身による疑似科学的主張である。生物学だろうが水産学だろうが科学であるならば疑似科学とは相容れない。土俵を踏み外したと言うべきか、最初から土俵の中にはいなかったと言うべきかはわからないが、反捕鯨派が寄り切ったとか押し出したとかではなく、鯨類研究所の独り相撲、決まり手は「自滅」である。政治的な制約を受けない子供のような身だからこそ言えるのかもしれないが、『「感情的」で「非論理的」な反捕鯨派には理解できない科学の衣をまとっていると自称する捕鯨は、実は裸の王様なのだよ』。

 ベルンの噴水「正義の女神」が目隠しをしているのは、先入観でものを見るなという戒めだとか。
20-02megami.jpg

Corruption

 東北大学の石井先生の分析によれば「日本にとって最も都合が良いのは、じつは調査捕鯨の続行である。」ということらしい。捕鯨産業がかつての勢いを取り戻すことが期待できない以上、現状維持はベストな選択だろう。これは、PEW鯨類シンポジウムでの水産庁森下漁業交渉官の言質によっても確認できる。

(森下氏は)包括的な管理枠組みが欠如していることが残念であるとし、解決のための3つのオプションは、1)IWCの中で持続可能な規制の下での捕鯨活動を実現するための冷静かつ理性的な議論の実施、2) 持続可能で科学に基づいた方法による捕鯨管理を行うための新組織の設置、3) 現状維持、であると説明した。


 「完全覇道マニュアル」にもあるように現状維持は政治の基本である。モラトリアムによりいままでやってきた商業捕鯨が禁止されるのなら「科学調査」の名目で捕鯨を続ければよいという、極めて政治的な判断が調査捕鯨の根幹にある。

粕谷 俊雄 IWC科学委員 兼 帝京科学大学教授(当時)
『私は80年代に水産庁に在籍し、調査捕鯨計画の立案にかかわった。その際、我々に与えられた条件は「経費をまかなえる頭数を捕鯨でき、しかも短期では終わらない調査内容の策定」だった。今では、法の網をくぐるような調査捕鯨の発足に手を貸したのは、うかつだったと悔やんでいる。』
(2005年10月3日 毎日新聞より抜粋)


 現在の調査捕鯨は学術的成果を上げていない点で科学的には不適切だが、一定量の鯨肉を確保できるという点で、政治的には適切なのだ。しかしこれは粕谷先生のおっしゃる通り、科学を腐敗させるものである。

(粕谷氏は)日本の調査捕鯨はICRWを誤用しており、科学者や政府、捕鯨産業を腐敗(corruption)させるものであるとし、日本の調査捕鯨を終了させるよう提案した。さらに、現在、日本鯨類研究所に務める科学者に対して新たな雇用先を提供し、オープンに情報にアクセスでき、研究の機会が得られるようにすることを提案した。 PEW鯨類シンポジウム より


 鯨肉横領疑惑が発覚したが、これは捕鯨産業の腐敗の一つかもしれない。鯨類研究所は財団法人であり、実態としては国営捕鯨会社である。マックスプランク、カロリンスカ、パスツール、コールドスプリングハーバー、あるいは理研といった研究所は独立性の高い研究ユニットの集合体であり、各チームリーダーには研究テーマ設定に関してかなりの自由がある。それに比べ、鯨類シンポジウムではこのような指摘がなされている。

日本の科学者には自分の仕事にほとんど裁量がないと指摘する声があがった。


 殺したクジラを使って何か科学っぽいことをやれと言われているのかもしれないが、鯨類研究所のウェブサイトを見ても、何人くらいの科学者がいて、誰がどんな研究をやっているのかは不明である。「調査捕鯨」でろくな学術的成果を挙げられないばかりか、疑似科学的主張まで行う鯨類研究所とはなんなのか。ただ一人の科学者ならおろかな間違いを犯すこともあるかもしれないが、仮にも専門家集団が、鯨類と人類の魚介消費を棒グラフで比べただけで競合を論じるなどという愚をおかすとは考えにくい。(クジラが人類の3-6倍の魚介を消費しているのが驚きだと言うなら問おう。ではどのくらいの量ならクジラ共の適切な消費量なのか?昔はどのくらいのサカナをクジラが食っていたのか?)

 (私の師の受け売りだが)友好的相互批判こそ科学発展の要。科学的批判こそ仮説の発展に必要なのだ。それが国立捕鯨会社の中で許される空気があるのか。明らかな疑似科学を誰も止めることができないのは何故か。もはや鯨類研究所の中の人を攻撃しても仕方あるまい。

 実のところ、海棲哺乳類研究にしても捕鯨産業にしても小さな分野である。韓国で起きた幹細胞研究に関する捏造事件に全く影響を受けていない韓国人科学者が多くいるように、仮に日本の鯨類研究が疑似科学で大打撃を受けても私には影響しないだろう。クジラが食えなくなっても実のところ日本人の生活には大して影響しないのと同様だ。だからこれはごく小規模な現在進行形のルイセンコ論争のようにも見える(捕鯨会社の内部では学説の科学的な適切さよりも、捕鯨続行に都合が良いかどうかで正否が決められているのではないか)。あるいは進化論争か(生物の進化は明晰な理性にとって避けがたい結論だが、宗教的信仰を否定するかどうかは微妙なところであり、進化論の中にもトンデモはある。捕鯨批判は必ずしも鯨食文化を否定するものではないが、反捕鯨派の中には変なのが多い)。クジラを食いたいとそれほど思わない私には関係ないことかもしれない。しかし、鯨類研究コミュニティーという小さな村の中で、最大派閥である国営捕鯨会社のあやまちを正そうと奮闘する粕谷先生をみていると、科学者の端くれとして、他人事としてはならないと思うのだ。

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