3500-13-12-2-1

ツーリングの記録等に使おうと思っていたが。。。タイトルは最初の記事の3500km, 13日, 12ヶ国, 自動二輪, 空冷単気筒の意。

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初音さんと振り返るツーリング

 いまは自分のみていたいものだけみることに。

 亡き王女のためのパヴァーヌのメロディーにうまいこと旅先の夕暮れに感じる気分がのった。ツーリングの集大成のスライドショー。


 歌詞は翻訳ではなく、「不思議なお話を」という邦題にそってつくられたもの。近場だったフランスの町。
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さよならエリミネーター

 ハーレーみたいな高級バイクがガンダムなら125ccクラスのタイカワサキ製のエリミは装甲騎兵ボトムズのATみたいなものだろう。よく走るいいバイクだった。
paris
2005年、パリへの道すがら
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2006年夏、酷寒のサン・ベルナールを超えて灼熱のイタリアを走りボマルツォへ
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ボマルツォの怪獣庭園

4800-16-14-2-1(最終回)

12日目 470km
Telc (CZ) 8:30
Beyharting (D) 18:00 Gasthaus zur Post Beyharting
バルカン半島では無用の長物だった冬用装備が役に立った。チェコでイノシシが道を横切った。危うくぶつかるところでかなりビビったが後ろの車もビビったようでそれ以降ものすごく車間距離をとっていた。去年はパスポートチェックがあった国境だが今年は誰もいなかった。親切なドイツのライダーに道を誘導してもらった。

チェコ。なだらかな平野と森

チェコ。ドイツ国境付近
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Passau(独)は古い歴史をもつ観光地でもある
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Beyhartingの宿の裏庭
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ウシも飼われている

13日目 250km
Beyharting (D) 8:30
Kressbronn (D) 15:30 Der Landgasthof
雨と寒気。南ドイツは気候が良ければそれなりに楽しい。ボーデン湖。湖畔を自転車で一周するツアーがあるようだ。予めホテルが決まっており、荷物は運んでくれるので自転車で走るだけ。
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ボーデン湖のヨットハーバー

最終日 260km
Kressbronn (D) 9:00
Basel (CH) 14:45
葡萄畑と美しい教会を見ながらボーデン湖畔を走る。シュバルツバルトを抜けてフライブルクからフランスに渡り、ライン川沿いにバーゼルへ。本当のところ、ドイツ側の方が見所があるのだが、両脇に雑草の生い茂るフランスの道の単調さが北関東らしく落ち着く。
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シュバルツバルト

いえらい いえらい

4800-16-14-2-1(その3)

9日目 430km
Szegalom (H) 8:00
Levoča (SK) 18:20 Hotel Barbakan
ハンガリー。幹線道路はまずまずだが田舎道になると凹凸が激しい。ハンガリーの道路標示のわかりやすさは独仏を遥かに超えて欧州ダントツである。Zahonyからウクライナ経由でスロバキア入りを試みるが、ウクライナの役人によればハンガリーからの方が近いというので国境で引き返してSatoraljaujhelyからスロバキア入り。パスポートチェックなしでスロバキアへ入れた。このあと一切パスポートチェックを受けること無くスイスまで戻ることになる。Levocaは美しい教会のある町。Marika Gombitovaというスロバキアの歌手が良い。
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赤丸は通行禁止を表すが、わざわざ馬車通行禁止というのはスイスでは見かけない
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ハンガリーの道はわかりやすい

10日目 260km
Levoča (SK) 9:00
Roznov pod Radhostem (CZ) 14:20 Hotel Eroplan
去年通ったスロバキアの道を逆方向へ。面白い名前のホテルがあったのでそこへ。木造建築の博物館があった。アルザスのEcomuseeのよう。
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Levočaの手前の町、スロバキアの城
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エロプラン
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かなり古い木造の教会
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中ではソーセージ作りを屠殺から解説

11日目 310km
Roznov (CZ) 9:00
Telč (CZ) 15:00 Hotel Pod Kastany
2年連続2度目のメンデルの生家訪問。村の近くでポーランド方面へ延びる高速道路を建設中。オロモウツ、ブルノを通ってドイツ方面へ。高速道路でも状態は悪い。朝食をほとんどとらなかったのでハンガーノック(?)になりTelčでホテルへ。そこが意外な観光地だったのは怪我の功名。宿屋の無い小さな村でも立派な教会があるのがチェコ。気候はもう秋。
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2年連続、2度目の訪問
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新しくなった礼拝堂
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メンデルの生家
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近くに高速道路が作られているがヒンチーチェは相変わらずの寒村
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テルチのホテル前の通り。しけた町にみえたが
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町の中心へ歩いていくと
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なかなかに美しい
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意外な観光地
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広場の噴水
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女学生が写生をしておった
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城の中庭
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城の中の教会
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広場

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5日目 340km
Dubrovnik (HR) 8:30
Rozaje (MNE) 17:00 Restaurant Hotel Duga
モンテネグロは地中海性気候のスイスといった趣。渓谷沿いを走る。道がわからなかったのでアルバニアへは行かなかったが、ガススタであったチェコ人のライダーがPec(ペーチ、コソヴォの都市)を経由してギリシアまで行くと言っていたのでコソヴォへ行くことにした。
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ドゥブロヴニク。「魔女の宅急便」らしい。
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コトル湾

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モンテネグロの渓谷を行く

コトル湾に沿って走る

6日目 360km
Rozaje (MNE) 8:30
Knjazevac (SER) 16:20 Mali Predah
MNE→SER→KOS→SER。コソヴォ入り口で鉄条網とコンクリートバリケードと国連軍の装甲車がお出迎え。どえらいところに来ちまったなぁ、と思ったのもつかの間、共和国内部は至る所に国連軍が展開しており治安は極めて良いようだ。道路の状態も普通で、ホテルも営業している。紛争があったという知識が無ければ新しい家と新しい墓がやたらにある理由もわからないだろう。写真撮影禁止ゾーンというのもあったが。コソヴォ人がコソヴォへ入るのは大変なようで、セルビア警察がヤクの売人を取り調べるような執拗な検査をしていた。MNEとSERで転倒。セルビアの宿では結婚パーティーが行われていた。
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コソヴォに展開する国連軍
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コソヴォの家は新築が多い
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セルビアの宿近く。夏の夕暮れ

7日目 200km
Knjazevac (SER) 8:30
Drobeta-Turnu Severin (RO) 15:00 Motel Petrom
ブルガリア経由でルーマニアへ。セルビア、ブルガリア、ルーマニアのあたりでは馬車が農作業に使われている。ヤギの群を追うヤギ飼い、我が物顔で道を横切るアヒル、牛馬は放し飼いで柵もない。ブルガリアールーマニア間はドナウ川を船で渡らなければならず、トラックが行列を作っていた。この辺りを走るトラック運転手は国境越えに苦労する。かなり効率が悪い。何か意図があるのかと思うくらい効率が悪い。モーテルであった英国人ライダーはギリシアへ行くと言っていた。
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ブルガリアの平野
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国境を舟で渡る
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ドナウ川

ブルガリアの馬車

マーク・ノップラーのヨーロッパツアーもルーマニアには行っていない。機材車が入るのが困難だからだろう。
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(5月11日、プラハのコンサート会場)
旧ユーゴスラビア圏の感想
多様な民族・宗教が林立しており、チトー亡き後四分五裂してしまったわけだが、「図説バルカンの歴史(河出書房新社)」によれば別に民族対立は本質的なものではないようだ。何の問題も無く共存、混在していたところに対立を煽る者が現れた、というインタビュー記事を読んだことがある。対立を煽る者が現れたとき、どのように対処すればいいのかは前の総理大臣が教えてくれた。「フフン、私はあなたとは違うんです。そんなチープな話では踊れませんな。」

8日目 410km
D-T Severin (RO) 8:00
Szegalom (H) 18:30 Hidi Panzio - Etterem
ルーマニアは馬車と大型トラックが道を行き来する。道の状態は非常に悪く、「青く美しきドナウ」も美しい農村も写真を撮る余裕はなかった。砂利に突っ込み転倒。常に工事で渋滞。チャウシェスク時代はもっとひどかったのだろう。コソヴォ以上の地獄がここにある。ハンガリーに入ってだいぶ気候が変わって涼しくなった。
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ルーマニアの田舎
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ルーマニア出国直前のガススタで
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